前回の記事の文体。
中国にいた頃、よく使っていたもの。
それでお気づきの方もいらっしゃるかと思うが、私の授業もこのような傾向があった。
(あらすじと要点のみ記したラフ)な教案にはそろそろ疲れてきて集中力が落ちるであろうと予想される付近に眠気を吹き飛ばす「クスッと笑わせる」や「大笑いさせる」キーワードも載せてあった。
もっとも教案に記さなくても、この辺はアドリブでも自信があったのだが。
まあ、私の笑いは学生たちが積極的に自分から話すための誘いでもあった。
また、突然私に指名された内気な学生が困ったときに「呼び水」を与えるようなワードは常々考えていた。
とにかく私は外国で教えていた母語話者教師として、例えそれが読解や聴解、N1試験対策であろうと、できるだけ発言させることばかり考えていた。
そして、上述の内気な学生に限らず、途中で詰まった学生が、なんとか切り抜けられるようなヒントやアドバイスも頭の中の引き出しに入れてあった。
さて、どんなことをしても、話せないというより、話したくない学生もいる。
当然である。
発言するよりは、もっと多くの知識をもらいたいと思っている学生もいる。
昼休みの後、学外に住む大人の学生の登校中に遭遇すると、話しかけていた。
とにかく日本語で話してもらおうと努力していた。
同時に「○○さん、本当は嫌がってるんだろうなぁ・・・」と思いながらも。
(後に飲み会で聞いた話だが、実際嫌で私と会わないように時間を調整することもあったとか。)
(たださすが大人の学生であり、「先生も私たちのために必死なんだ」とは思っていたらしい。)
それでも私は「学生ができるだけ日本語で話すような機会を作ること」を心がけていた。
会話の授業も単なる「日本語サロン」で終わらないように常々考えていた。
二クラス同時に会話授業をするとなると、それが一番楽であり、当初上司もそれで良いと言っていた。
だが、私の考えでは「たまにならば良い」「ただし、それだと話さないまま終わってしまう学生もいる」と。
であるから、同じ時間に二クラス別々に会話授業をしていた。
どうやっていたかは、そのうち記そうとは思う。
ただ、現時点では過去ブログを参照されたい。
今となっては自分でも信じられない話であるが、20代前半まではかなりの口下手であった。
であるから、知らなかったり、わからなかったり、話すのが苦手な学生の気持ちもわからないわけではない。
さらにはセファールの考えを元にすれば、日本語も読む、聞くだけわかれば良いという考えを持っている学生がいても不思議ではなく、「少々やり過ぎたかな・・・・・・」という反省が無いわけでもない。
それでも、話したくない学生や内気な学生がこのように思えばラッキーであると思っていた。
「楽しそうだなぁ。私も/俺も参加してみよう!」
社会に戻る学生もいれば、初めて社会に出る学生もいる。
どちらにしても、試験ができれば良いというわけでもない。
とにかく社会人経験者の母語話者教師としては、日本人との会話に困らない程度にはしておきたかった。
(まあ、最初はわからないけれど。日本人も普段から標準語で話しているわけでもなければ、中国人からすれば聴き取りにくい話し方をする人も多い。)
ただ、最後にこんなことを記しておこう。
2013年のこと。
ある高校生が母親と授業を見学にやってきた。
当時私は午前に上級と中級の正規授業、午後に両クラスの会話授業を担当していた。
見学に現れたのは中級の正規授業だったと思う。
(アメブロの場合、こういう検索がかけにくい。)
(AIを使う手もあるけれどね。)
私も教師としてだけでなく、学校の経済状況がわからないわけでもないし、とにかくその学生を入学させたかった。
そこで普段とは違う正攻法の授業を行うことにした。
ところが学生たちはそれをさせてくれなかった・・・。
学生たちのほうで私の授業をコントロールし、まるで学生と私の掛け合い漫才状態となり、クラス中笑いに包まれて授業が終わった。
(イラッとしたが、『よくここまで話せるものだ』とびっくりもした。)
授業後私は教師を忘れた口調で言った。
「お前らなぁ!! 俺の立場も考えてくれよ! あの学生をどうしても入学させたくて、真面目に授業しようと思っていたのに!!!」
ところが学生たちは「中国での教師と学生の立場関係を忘れたような言葉で」こう返した。
「先生が真面目な授業なんて無理、無理~」
「絶対無理」
「似合わない!」
「先生、無理しないでください」
「自分に合わないことはしないほうが良いですよ~」
あのぉー、俺普段は一応真面目なんだけど。
そりゃあ、確かに笑いは入れるけどさ・・・・・・。
ちょっとへこんで顔に縦線の日本人教師がそこにいた。
それを見てある学生がのたまった。
「先生、あの男の子、絶対学校に来ますよ」
本当にそうかなぁ・・・・・・。
「※※※※※※※※※※※」←タイトル参照
なんだか褒められているのか、けなされているのかようわからんけれど。
最近の日本語教育試験の出題傾向を把握していない。
ただ、少なくとも私が教えていたころは登場しない使い方であったし、今では日本に住んでいる大人でさえも理解できない方がいる「はたして」のもう一つの意味を使って記しておこう。
2014年の春節後の開講前。
「果たして、その学生は現れた」
