まさか日本でカルチャーショックを!

まさか日本でカルチャーショックを!

2025年4月18日未明アメブロに引っ越してまいりました。
中国生活経験者 元日本語教師

前回の記事の文体。

中国にいた頃、よく使っていたもの。

 

それでお気づきの方もいらっしゃるかと思うが、私の授業もこのような傾向があった。

(あらすじと要点のみ記したラフ)な教案にはそろそろ疲れてきて集中力が落ちるであろうと予想される付近に眠気を吹き飛ばす「クスッと笑わせる」や「大笑いさせる」キーワードも載せてあった。

もっとも教案に記さなくても、この辺はアドリブでも自信があったのだが。

 

まあ、私の笑いは学生たちが積極的に自分から話すための誘いでもあった。

 

また、突然私に指名された内気な学生が困ったときに「呼び水」を与えるようなワードは常々考えていた。

とにかく私は外国で教えていた母語話者教師として、例えそれが読解や聴解、N1試験対策であろうと、できるだけ発言させることばかり考えていた。

そして、上述の内気な学生に限らず、途中で詰まった学生が、なんとか切り抜けられるようなヒントやアドバイスも頭の中の引き出しに入れてあった。

 

さて、どんなことをしても、話せないというより、話したくない学生もいる。

当然である。

発言するよりは、もっと多くの知識をもらいたいと思っている学生もいる。

 

昼休みの後、学外に住む大人の学生の登校中に遭遇すると、話しかけていた。

とにかく日本語で話してもらおうと努力していた。

同時に「○○さん、本当は嫌がってるんだろうなぁ・・・」と思いながらも。

(後に飲み会で聞いた話だが、実際嫌で私と会わないように時間を調整することもあったとか。)

(たださすが大人の学生であり、「先生も私たちのために必死なんだ」とは思っていたらしい。)

 

それでも私は「学生ができるだけ日本語で話すような機会を作ること」を心がけていた。

会話の授業も単なる「日本語サロン」で終わらないように常々考えていた。

二クラス同時に会話授業をするとなると、それが一番楽であり、当初上司もそれで良いと言っていた。

だが、私の考えでは「たまにならば良い」「ただし、それだと話さないまま終わってしまう学生もいる」と。

であるから、同じ時間に二クラス別々に会話授業をしていた。

どうやっていたかは、そのうち記そうとは思う。

ただ、現時点では過去ブログを参照されたい。

 

今となっては自分でも信じられない話であるが、20代前半まではかなりの口下手であった。

であるから、知らなかったり、わからなかったり、話すのが苦手な学生の気持ちもわからないわけではない。

 

さらにはセファールの考えを元にすれば、日本語も読む、聞くだけわかれば良いという考えを持っている学生がいても不思議ではなく、「少々やり過ぎたかな・・・・・・」という反省が無いわけでもない。

 

それでも、話したくない学生や内気な学生がこのように思えばラッキーであると思っていた。

「楽しそうだなぁ。私も/俺も参加してみよう!」

 

社会に戻る学生もいれば、初めて社会に出る学生もいる。

どちらにしても、試験ができれば良いというわけでもない。

とにかく社会人経験者の母語話者教師としては、日本人との会話に困らない程度にはしておきたかった。

(まあ、最初はわからないけれど。日本人も普段から標準語で話しているわけでもなければ、中国人からすれば聴き取りにくい話し方をする人も多い。)

 

ただ、最後にこんなことを記しておこう。

2013年のこと。

ある高校生が母親と授業を見学にやってきた。

当時私は午前に上級と中級の正規授業、午後に両クラスの会話授業を担当していた。

見学に現れたのは中級の正規授業だったと思う。

(アメブロの場合、こういう検索がかけにくい。)

(AIを使う手もあるけれどね。)

 

私も教師としてだけでなく、学校の経済状況がわからないわけでもないし、とにかくその学生を入学させたかった。

そこで普段とは違う正攻法の授業を行うことにした。

 

ところが学生たちはそれをさせてくれなかった・・・。

学生たちのほうで私の授業をコントロールし、まるで学生と私の掛け合い漫才状態となり、クラス中笑いに包まれて授業が終わった。

(イラッとしたが、『よくここまで話せるものだ』とびっくりもした。)

 

授業後私は教師を忘れた口調で言った。

「お前らなぁ!! 俺の立場も考えてくれよ! あの学生をどうしても入学させたくて、真面目に授業しようと思っていたのに!!!」

ところが学生たちは「中国での教師と学生の立場関係を忘れたような言葉で」こう返した。

「先生が真面目な授業なんて無理、無理~」

「絶対無理」

「似合わない!」

「先生、無理しないでください」

「自分に合わないことはしないほうが良いですよ~」

 

あのぉー、俺普段は一応真面目なんだけど。

そりゃあ、確かに笑いは入れるけどさ・・・・・・。

ちょっとへこんで顔に縦線の日本人教師がそこにいた。

 

それを見てある学生がのたまった。

「先生、あの男の子、絶対学校に来ますよ」

本当にそうかなぁ・・・・・・。

「※※※※※※※※※※※」←タイトル参照

なんだか褒められているのか、けなされているのかようわからんけれど。

 

最近の日本語教育試験の出題傾向を把握していない。

ただ、少なくとも私が教えていたころは登場しない使い方であったし、今では日本に住んでいる大人でさえも理解できない方がいる「はたして」のもう一つの意味を使って記しておこう。

 

2014年の春節後の開講前。

「果たして、その学生は現れた」

仕事日のお昼はコンビニ弁当とインスタント野菜スープの類い。

金曜日や祝日に中華料理を食べにいったりしていたが、お金が続かない・・・。

そこで激辛や微妙な辛さ、単なる醤油味等の中国を思い出しそうなカップ麺で「その気分」に浸るのが、金曜日や祝日のランチ。

(ちなみに土日は休みだが、週中の祝日は出勤であることが多い。)

一応凄く匂うブツを食すときは、昼に一人っきりとなる日を選ぶようにしている。

 

さて、カップ麺だけではお腹が膨れないという「まだまだ食べ盛り」のおっちゃんはパンも食べる。

(中国帰りの意地でラーメンとごはんは避けるが、ラーメンとパンは許せるというツッコミどころは無視願う。)

いつもとあるバーガー的なものを買うのだが、先週金曜日は売り切れのため、グラコロバーガー的なものを食した。

マクドナルドでも食べたことがないグラコロバーガーは(温めなくても)とてもおいしかった。

 

ところが本日建国記念の日はどちらもなく、コロッケバーガー的なものを購入。

正直な話、あまり期待していなかった。

ところが、一口食べて涙がじわじわと滲み出た。

(温めなくても)おいしくて、とても懐かしい味わい。

 

決して裕福な暮らしをしているわけではない。

今でも週に1、2回は(雌伏時代に大変お世話になった)のり弁を食べては当時の奮闘を懐かしく思い出す。

そういえば格好いいかもしれないが、実はできるだけ安くあげるようにしているだけのこと。

 

それでも「いつから俺は変わってしまったのだろう」と青春の味であるコロッケバーガーを低くみたことを反省したぐらいには成り上がってしまったようである。

 

いったいどこが成り上がりなのかわけがわからないけれども。

 

幸せに浸るとともに眠気が訪れた(というよりも血糖値が上がって下がった)私はとあることを忘れて15分ぐらいのお昼寝。

午後1時になって、戻ってきた偉いさんがのたまった。

「ラーメン食べたでしょ。凄い匂い・・・」

そう、感動のあまり、部屋の換気をするのを忘れていたのであった。

令和8年度日本語教員試験の試験日が発表された。

ただ、今年受験するかどうかは5~6月に決めようと思う。

いままで2回受けているが、基礎試験が7割5分程度で落ちている。

惜しいといえば、確かに惜しい。

(ちなみに基礎試験だけで考えると、昨年の第2回目は第1回目より簡単であったのだが・・・。)

しかし、昨年は勉強するうえでも、受験するうえでも様々な(警告的な)邪魔もあった。

邪魔といっても、人為的なものではなく、自然的な作用によるもの。

実は夢を叶えるうえで、これはけっこう大きな意味がある。

 

行動計画上で努力してもうまくいかない場合にはいくつかの原因が考えられる。

一番多いのは「努力が足りない」だとか、「正しい方法で努力していない」という場合であろう。

しかし、「現時点では必要ない」だとか、「この先まったく必要ない」だとか、「進むべき道を間違えている」というケースも存在することも確かなのである。

 

そのように考えると、「諦める」または「続ける」という選択は非常に難しい。

 

私自身は国家試験、民間試験に限らず、3回を目処にしている。

ただし、日本語教育能力検定試験のように3回以上受けたものもあるし、語学試験のように合格とされる点数を取得してあっても、もっと良い点数が欲しくて受けるものもある。

(TOEICを受け続けるのと似ているかと。)

 

とりあえず今年前半はHSK6級でもっと良い点数が取れたら、と考えていると前半を結んでおく。

 

さて、本日の話題・・・・・・(??)

 

中国広東省で最後の7年住んだ市はテレビ放送自体も中国語普通話であったとおり、他地域出身の方々が多かった。

ただし、部分的に広東語隆盛地域が混在していた。

 

ところがその隣の市のテレビ局は広東語であった。

(広東省であるので、広州の広東語局も普通話局も見ることができたし、当然CCTV(中国中央電視台)のチャンネルも見ることができたことを補足しておきたい。)

 

最初に住んだ都市はほぼ広東語隆盛地域であった。

これは元々客家語系の話者が多かったところに鉄道建設で広東語話者がやってきた影響であると言われている。

 

どの都市も公共の場で広東語を話されるケースがあった。

最初は広東語のボキャブラリーのほうが多かった私ではあるが、だんだんと普通話の能力が向上してくると、苛立つことが多くなった。

例えばバスターミナルで検札の方が広東語だけでバスの通知をすることがあったし、バスの中でも運転手が広東語だけでアナウンス(?)することがあった。

それぐらいであれば、私も聴き取れるし、反応もできる。

だが、もし広東語が理解できない場合は、乗りたいバスに乗れなかったり、降車できないケースが発生する。

実際、バスターミナルに限らず、同行者が日本人、他地域出身の中国人、あまり普通話がうまくない中国人である場合で私だけが反応できたということが何度かあった。

「わかったからいいじゃん」では済まされない話であろう。

 

ただ、中国生活の最後の数年でやっと気づいたのは「(広東語だけで話した)本人たちにまったく悪気はない」ということ。

まだ喫煙者出会った頃、リアルな客家語隆盛地域でたばこを買うときに苦労した経験も思い出すが、そこに(当時まったく)客家語がわからない私がいたこと自体がイレギュラーなことなのである。

 

こんなことは日本でもある。

私が経験しているのは、日本一時帰国時の運転免許証事前更新や帰国してからの免許更新、仕事の件でお役所とやりとりしている時に見聞きする方言。

 

あまり得意ではないとはいえ、5歳からこの付近に住んでいた私には(一瞬考えることはあっても)理解できる。

だが、他地域から来たばかりの方や仕事や学業で一時的に住んでいる方々からすれば、理解不能な言葉なのである。

 

また、YouTubeの日本語による外国語学習のチャンネルで、講師が日本語の単語のみを言った場合に、一瞬戸惑うことも多い。

いちおう昔から方言に興味があった私は気がつくのだが、訳がわからずに「その先を聞き逃す方もいるかと思える。

「おいおい・・・」とは思うのだが、本人に悪気はない。

元日本語教師の外国語講師でさえ無意識に出てしまうのである。

 

私の場合、(日本語母語話者教師に標準的な日本語を要求されることが多い)中国で日本語教師をやっていたので、ある程度はアナウンサーのようなアクセントで話すことができる。

 

ただし、すべての日本語教師に中国の日本語教科書の新出単語に付されている⓪①②③・・・のような辞書的なアクセントで授業することを求めるのは酷な話である。

(今はわからないが、以前は私が住んでいる愛知県東三河で、標準アクセントや三河アクセントだけでなく、尾張アクセントや関西アクセントで授業する方もいらっしゃった。)

 

そう考えると、一般の企業人や役人が無意識にそういう言葉を使ってしまったとしても罪はないのかもしれない。

 

それでも私自身が「長く住む三河で三河弁の意味の取り違いで失敗した苦い経験もある」ということだけは記しておきたい。