前回のアルゲリッチのコンサートで
感じたこと、
改めて思ったことのPart 2 です。
共演者のヴァイオリニストの奏でる
音楽についてです。
私はその演奏表現に
ざわざわさたものを感じてしまいました。
弦に弓が触れる瞬間、
放たれる音、フレーズ感、
弓を弦から離す動作・・・
終始、派手なパフォーマンスが目について
音の向こう側に静けさがありません。
完全にフロー状態で演奏している
アルゲリッチ、そしてチェリストのマイスキーの
音への集中とは
異質なものを感じました。
🍀🍀🍀🍀🍀
エゴを感じる演奏とは
自分にベクトルが向いているもの。
自分がどう見られるかが気になる、
自分が上手に弾きたい、
自分の上手いところを見せたい etc,
エゴが透けて見える時
聴き手は冷め、
心が動くことはありません。
自分がどう見られるかを捨てて
自分は媒介者となって
純粋に音楽に奉仕するとき
逆説的だけれど
フィルターとなる演奏者自身の
強烈な個性が滲み出てきます。
凡人の私は
常にエゴからの脱却との闘いですが😅
でも、
私自身が心を揺さぶられるとき
私が感じたものは
演奏者の静かな意識領域で生まれているものだと
何度も何度も経験して来たので
私の興味はいつも
演奏者の意識状態にあります。
そして、そこを目指して
今日もピアノに向かいます。
たぶん私は
その意識領域を自分自身でも感じたくて
ピアノを弾いているのだと思います✨
