綺麗な夜だった。



サラサラの短い茶髪、
目にかかる前髪、
少し目尻がつり上がった大きな瞳、
長い睫毛、
透き通るような白い肌、
淡く色付いた頬、
形のいい唇。

女性にしては大きな手、
細長い指、
折れそうな手首、

鈴の音を連想させる声、
甲高い笑い声、

華奢な骨格、
頼りない背中、
スラッとした体格。


残像のように、朧げに、危うく浮かぶその人を、
大好きなその人を、思い浮かべていた。
目を閉じていても思い出せないところなんて無かった。

乾ききらないうちに水をかけられた絵の具のように、
空に浮かぶ虹のように、
葉の上の真珠と化した水滴のように、
ただぼんやりと、形を成したまま、思い浮かべていた。


星が綺麗だった。

夜の闇に溺れていた。




夢を見た。



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人生において、かけがえのないものがあるとして。
言葉に表す必要性すら感じなかった。
わたしはね。

ずっとそこにいて、そこにあって、
当たり前だったから。
もしいなくなったら、とか考えなかった。

それが世界だったからだ。
それが全てだったからだ。

もしなくなったら、というのは、
それは最早、わたしがわたしじゃなくなることに等しかった。
それが無くなるという概念すらわたしの中にはなくて、変な話、一緒にしぬのだと思っていた。

つまり、まぁ、そういうことだ。



愛だとかって、どうも曖昧だ。

この世に溢れている、かけがえのないものって、大抵そうだろう。
誰もが皆口を揃えて挙げるのに、ちゃんとした形はなくて曖昧だ。
例えば命だって、「生きている」ということが、「命」を形とした証明になる訳じゃないのに。
冷静に考えてみると、とてもおかしい。
形にすらならないものを、皆大切だと言う。

大切なものは?
かけがえのないものは?
と聞かれて、
隣にいる人の手を繋ぐこともせず、
愛だとか、
夢だとか、
命だとか、言う。

傍にあるものを、隣にいる人を、
胸を張って大切だと言えない。
失うのが怖くて、一番だと言えない。
どこかで、すべてに保険をかけている。

そんな、世界と、人間。


曖昧なものは怖い。
曖昧だからこそ。

だから、自分から一番よく見える、自分の一番近いものの手を繋げば、朧げだった輪郭はハッキリとして、滲んでた色は元に戻ると、信じていた。

だから、出逢った時からいままで、
わたしはあの子の手を、離したことがなかった。

離したら消えそうだから。ではなく、
離さずにいたらもっと明確になると、
思っていたから。


うまれたその瞬間から機能だけを植え付けられたロボットのように、その信念だけが、それこそ曖昧で形を成さないまま、ずっとわたしの中にあった。

あながち間違いではなかったのかもしれない。
実際、繋いだ手はまだ一瞬たりとも離れていないし、あの子はずっとわたしの傍にいる。
わたしも、ずっとあの子の傍にいる。

瞬きをする為に瞼を閉じれば写真のように姿かたちが思い浮かぶ。
誰かはこれを狂気というかな。
でもその誰かは、ここまで誰かを好きになって、愛したことがないんだろう。
人を愛するって、きっとこういうことだ。
わたしにとってはね。



闇に浮かぶ星と、陰りのない満月が、
わたしの思考を滲ませて泳がせた。
収集がつかない想いばかりがこぼれて、落ちて、どこかへ行ってしまった。
拾い集めたりはしない。そんな必要はないから。

宙に手を伸ばした。
大好きな、ひと。

空っぽになった夜に、
満月に中身を吸い取られた夜に、
形骸化したわたしの中に、
そのひとへの愛だけが残って浮いていた。

はやく逢いたくて指が震えた。
ただ純粋に、あの白い頬に口付けたかった。


分からないだろうな。
みんなには。

それでいいや。



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夢を、見た。

詳しく思い出せないけど、大切ななにかを失う夢だった。

それに穢されかけたわたしを、満月が守ってくれた。
きたない感情は、満月が全部吸い取ってくれた。


もう、深夜の3時を回っていた。

明日は愛佳に会える。
寝なきゃ、また顔色が悪いって心配される。

笑みが零れた。


「 …だいすきだよ 」


満月は、笑っていた。