「どうして勉強しなくちゃいけないの?」

子供からこんな質問をされたことがある人も多いのではないでしょうか。
あるいは、あなた自身がそのような疑問を抱えたことがあったかもしれません。

「いい大学に行き、出世するため」「自分自身のためになるから」「勉強しなくて後悔しているから」
さまざまな答えがあり、そのどれもが間違いではないと思います。

勉強をしながら心が折れそうになった経験は誰しもにあることでしょう。
嫌いな勉強や自分を苦しめる難問に対して辟易する気持ちになり、「こんな勉強をして将来何の役に立つんだ」と心の中で毒づいてみたり…笑
学びというのはとかく迷いやすいものなのかもしれません。


生徒からたまにそういう相談をされたとき、私はこう答えることにしています。

「確かに将来の役に立つかどうかはわからない。だけど、今学んでいることはこれまでの世の中を作ってきたこと、役に立ってきたことなんだよ。これから何が役に立つのかはそれを踏まえて君たち自身が考えていかなくちゃいけないことなんだ。」



義務教育や高等教育がなぜあれらの教科なのか、その答えも同じだと思っています。
世界史や日本史はもちろん、数学や物理や化学だって歴史を学んでいるという捉え方もできます。

例えば高校数学は19世紀までの数学の体系をまとめたものだそうです。
テレビ、車、建築、インターネットにスマホ。
三角関数、微積分学、物理学、電磁気学…世の中に溢れているものは殆どがその体系の上に成り立っています。

 

「これまでの世の中はこういう発見によって進歩してきたんだ」ということを学ぶことは、「これからの世の中で何が役に立つだろう」と考える上できっと役立てることができるのではないでしょうか。



もちろんこれらの便利なツールは知識がなくても使えます。
しかし、知識があれば視野は広がり、例え直接役に立たなかったとしても興味と理解を深めるでしょう。

その豊かさこそが勉強をした方が良いという大きな理由の一つではないかと思います。

私は先生なので、勉強に興味を持ってもらうために科学史の話をよくします。
「この人は不遇な時代もあったけれどこうやって世の中に再評価されていったんだよ」とか「この発見で世界の概念がこんなふうに変わったんだよ」など。
直接受験の役に立つことではありませんが、そういうのをきっと教養と言うのだと思います。



もちろんだからといって勉強しなかった人がダメということはありません。
勉強をしなくても、既存の概念とは違った発想から全く新しいものを作り出す可能性だってあります。
しかし、それは(確率的に考えれば)とても難しいことで、少なくとも大抵の場合は人とは違った努力が必要なことです。

また、どんなに勉強を頑張っても、全てを学ぶことはできません。
さまざまな学問が発展してきた現代においては、巨人の肩によじ登るだけでも大変です。
たくさん勉強した人もそうでない人も、自分の道を進んでいくためにそれぞれが手持ちのカードで勝負をするしかないでしょう。

勉学に励むほど手持ちのカードが多くなります。
だからと言ってカードの少ない人に必ず勝ると言うわけではありませんが、やはり過去から様々なことを学ぶことができた人は強いのです。

だから、あなたが勉強をするかしないか、選べる立場にあるのなら勉強をした方がきっと良いのです。

例え興味がないことでも、とにかく学ぶことは大切なことです。
興味のないことを学ぶのはとても難しいことですが、どこが面白いのか、興味を持てるポイントはどこかを探ることもまた学びだと言えます。

苦難と向き合い、トライアンドエラーを繰り返し、改善を重ねていく姿勢こそ勉学を通じて身につく役に立つスキルでしょう。