3名の合格実績と指導記録(1名は概要のみ)を公開させていただきましたが、良い結果に結びつかなかった生徒たちもいました。
その記録をプライバシーに抵触しない範囲で公開させていただこうと思います。
▽不合格の要因を分析するにあたって
受験の分析をするとき、「講師」はもちろんですが「子供」「保護者」にもそれぞれ要因があると考えています。
どれか1つのせいにしてしまうのは単に精神論であり、他責するのを合理化してしまわないように注意はしなければなりませんが、出来うる限りは正確に分析しなければ次に活かす教訓とすることができません。
従って、その要因を「子供」「保護者」にもあると結論づけている部分があります。
入試の傷がまだ癒えていない方は、読むのをお控えいただくようお願いいたします。
▽家庭教師がうまく機能しないケース
家庭教師としてご契約いただいたご家庭には学習面で様々なご提案をさせていただきますが、提案がほとんど聞き入れていただけない場合もあります。
上手に説得できない点も含めて私の未熟さによるところではありますが、家庭教師の方針とその他の方針を中途半端両取りしようとすると破綻してしまうケースは多いなと感じます。
それまで塾の方針でうまくいっていないにも関わらず、塾のカリキュラムを履修することそのものが目的化してしまったり、ご家庭の学習方針が強固であったり、本人の我が強かったりするケースです。
例えば、夏期講習や志望校別特訓などの演習授業はみんなが受けているだけに、親の安心感という側面からも受講をさせたいと考える保護者の方は多いです。
基本的に受講すべき重要な講座であるという点については私も同意するところですが、そのために理解していない・解けるようになっていない問題を大量に通過させてしまっている場合は効果がかなり薄いと言わざるを得ません。
10問再現性のない状態で分かった気になることも全く無意味とまでは言いませんが、それより、1問でも「次に出題されたら解ける」という状態を作ることが大切です。
そのようなジレンマに陥っている場合、講座の一部を切って学習時間や睡眠時間に充てることを提案させていただくことがあります。
無理筋の学習計画を強行することは本人にとってマイナスになると考えているからです。
ご家庭で「あれもやった」「これもやった」「だから基礎は完璧」と、私から見て基礎の穴が多い状態であるにも関わらず、基礎に手を入れさせていただけないケースもありました。
保護者の方のバイタリティは本当にすごかったですが、やはり本質と違うところで空回ってしまうと上手くいかないなと感じます。
注視すべきは生徒本人の理解度であって、どのテキストをどれだけこなしたかという量ではありません。
本人の我が強いケースに関しては、家庭教師との人間的相性にもよるのかなという印象です。
これはまぁ、生徒のことばかり言えないんですけどね。
人間的に明らかに相性が悪い場合には、家庭教師は変えてしまったほうが良いでしょう。
▽模試の偏差値が足りているのに入試がギャンブルになってしまうケース
指導も終盤(12月〜1月ごろ)に差し掛かってくると、模試の偏差値はほとんど参考にしなくなり、生徒の具体的な学力の穴や問題点を探ることに注力するようになります。
学校に求められる学力と潜在的な学力の乖離を注視するようになるわけですが、やはり基礎が曖昧な子の受験はどうしてもギャンブル要素が強くなるという印象です。
当然のことですが、出題範囲によって成績がブレるからです。
指導方針の基本は「本人が気づいた穴を埋める」「私が気づいた穴を埋める」の両輪ですが、どちらかが不十分である場合は穴が埋めきれないなと感じています。
本人が「宿題が終わればいい」という意識で勉強していて、なんとなくわからないと感じていても質問しない場合は、見つける度に指導し、必要性を説得していきます。
しかし、本人が質問はちゃんと持ってくる場合でも、基礎チェックを嫌厭してしまうケースでは潜在的な基礎の穴が埋めきれなかったと感じることもありました。
これは「表面上順調だし、カリキュラムもキツいだろうから、そのままの学習でも大丈夫だろう」と手綱を緩めてしまった私の責任によるところが大きいと感じています。
模試の偏差値が足りていて、本番がギャンブルになってしまったのはそのような表面化していない穴を突かれたからなのかもしれません。
▽中学受験に落ちるということ
基本的に私は結果主義です。
中学受験というハードルに挑んだのであれば、合格したその瞬間にこそ全てが報われると考えています。
だからこそ、私にできるあらゆる手を尽くして生徒の合格を勝ち取ろうとします。
しかし、現実問題として合格を勝ち取れない生徒もいます。
費やした努力が報われなかった瞬間というのは、何度立ち会っても慣れないものです。
不合格という結果がもたらす影響は様々ですが、小学生には小さくない影響があるでしょう。
不合格であったことに無理矢理ポジティブな理由をつける必要はありません。
大きな挫折の経験をしっかり咀嚼するには、ある程度の時間も必要です。
この経験が癒えなくても、すぐに前を向いて歩き出す時が来ます。
形の伴う結果を残せなかったのであれば、これまでの努力を次なる挑戦の糧とすることが中学受験での時間に意味を持たせることにつながるでしょう。
厳しい現実を知ったことは、より創意と工夫・結果を意識した努力の材料になり得ます。
ただ、どのような志があっても、それを叶える実力が伴わなければ昇華することはできません。
実力のない人間の口にする理想ほど空虚なものはないのです。
挑戦とは、「何が足りないか」と自問し行動し続けることです。
謙虚に自己や他者を分析し、己を過信することなく完成度を高めていきましょう。
中学受験で苦しんだ経験が、今後の勉学の励みとなるように。
私の指導が中学校以降の勉強で、良き手本の1つとなるように。
中学受験の過程で培った実力や経験が次なる挑戦の糧になってほしいと願わずにはおれません。