あらすじ
雨の降る日、ある一台のツアーバスに乗った数人の乗客たち。
乗客達が集まったそのツアーとは、『自分の過去への後悔をやり直すことが出来る』そんなツアー。
過去への後悔をやり直すことが出来る、そんな漠然とした名目のツアーに当然半信半疑の乗客達。
ツアー自体に疑いを持ちつつもバスに乗った乗客たちを、出発後何より先に待ち構えていたのは、そのバスの転落事故であった。
相当な高さの崖から転落したのであろう、バスの乗客は、運転手を含め全員死亡。しかし崖よりの転落に驚いた乗客たちが、次の瞬間何よりも、自分の死よりも驚いたのが、全員、それぞれの持つ後悔の元である時代、“過去“にいたことだった。
たどり着いた先、出発した日と同じくやはり雨の降る、それぞれ確実に別々の日。
彼らは自分の命を失った。勿論それぞれそれは理解できる。しかし彼らはそれぞれの過去で、命を失った上とはいえ自分の後悔をやり直すチャンスを得た。
ツアー会社の社長は、悪びれることもなくツアーの参加者達に述べる。
「事前の申込書の注意書きにも書いてあるでしょう?このツアーは、死を伴います」
ボクラ団義本公演第十二弾!時の劇団ボクラ団義が今新たに送る!死のタイムスリップバスツアー!!
命を失い幽霊となった参加者達が、自分の後悔を持つ過去で何をする!?
悔やみ続けてきたあの別れを防ぐのか、その別れをあの時よりも少しでも笑顔で見られるべく見つめ続けるのか、何よりまず土台、『自分達が事故に遭ったあのバスの発車を止める』のか!?
後悔だらけの幽霊達が、2013年よりもちょっと前、すごく前、つい最近を駆け巡る!!超エンターテイメントタイムスリップホラー舞台劇!!
「あなたの幸せを祈った振りをして明るく手を振った。あの時のさよならは、いい別れだったでしょうか?」
雨の中で響いた唄、雨音という名の、さよならの唄。
あすぴーはこの物語のヒロイン佐津川瞳の高校生時代。瞳には病気で入院している親友がいて、その親友を毎日見舞いに来る先輩がいて、そして絵に描いたような三角関係になる。
物語は瞳と親友が当事者となってしまう臓器移植事件が発端というか、タイムスリップバスツアーの行きついた先にこの事件があった。
この物語には様々な別れがありますが、最も悲しい別れだったのがあすぴー演じる高校時代の瞳の最期でした。
なにしろ瞳は親友を激しく罵って感情が行き違ったまま先輩の眼の前でバスに撥ねられて死に、その親友のドナーになってしまうわけですからねえ(涙)
公演中に死ぬシーンがあるのもあすぴーが演じた瞳だけでした。
そんな、瞳の悲し過ぎるさよならに対する救いは、親友や先輩があすぴーが演じた瞳の苦しみを理解していたことを未来の瞳が知ることができたことでしたがww複雑すぎてよくわからない。
ちなみに、主演の堀越のりさんが演じた未来の瞳(死人だけどw)は本当の瞳の脳を移植されて人格が瞳になってしまった親友の早織でした。
この物語の悲しみの中心にいた若き日の瞳。あすぴーはそんな大役を見事に演じ切っていたと思います。先輩と話すときの愛しさと切なさをホワイトチョコレートでグツグツ煮込んだような甘い物言いは、まさに恋に身を妬く女子高生のものでした。(妄想ですがw)
一方、早織役の木本夕貴さんと口論するときのあすぴーはドSモード全開。極妻に出したくなるような迫力あるドラ声で彼女を攻めていましたw
(でもボクは女の人のドラ声って大好きなんですw)
しかし、早織を畳みかけるときの口調が妙に知的だったのはインテリあすぴーの地なのかな…
突飛なストーリーが多い舞台演劇ではごく普通の恋愛ドラマとか逆になかなか観れないと思うので、今回生あすぴーの恋する女の子が観れたことは実に貴重な体験だったと思いますw
さらに、この舞台には激しいダンスシーンがあったのですが、あすぴーのダンスがまたカッコよかった!暗めの壇上でスポットライトを浴びて輝くあすぴーの肌は眩しいほどに白く、アイドル的なルックスと相まって得も言われぬ存在感を放っていました。ボクの中では周りの人々がすべて背景と化していましたw
物販には過去の作品のDVDがあったので、この作品もDVD化されることを期待しています。
そんな楽しい舞台でしたが、ボクはひとつ疑問に感じたことがあります。
この舞台のパンフレットのことです。
このパンフレットにはネタばれ要素がたくさん載っているので公演前には見ないようにしてくださいと、購入する時に言われました。前説の時もあすぴーのブログにも同じような事が書いてあったわけですが、ボクは逆に公演前にネタをすべて知ってた方が良かったのではないか?
どうせなら台本とか読んでたくらいの方がこの舞台をより深く楽しめたのではないかという気がしてならないのです。
ライブとしての舞台演劇と対照的な存在として映画があります。
中には違うものもあると思いますが、基本的に映画はストーリーを楽しむものだと思います。手に汗握るような展開や主人公の運命が観客の最大の関心事であり、何度見ても同じ映像の映画の場合は一番最初に観た時が一番新鮮な感動を得られ面白いと感じるはずです。
しかし、舞台は一番最初に観た時が一番面白いと思うものなのでしょうか?
ええとこの舞台は時間の都合上1回しか観れませんでしたがww
ボクの数少ない観劇経験では2回観た時はいつも2回目の方が面白かったのです。まあ何十回とか観たらさすがに飽きると思いますけど…
まあ初見では複雑な話に頭が付いていかないという残念な理由もあるわけですがwww舞台を観るときに一番気にしているのはストーリーではなく役者の演技というか好きな役者さんそのものだからですww
とか言ったら話は終わってしまいそうですが、特殊な舞台やちびっ子たちを除いて、今回のようないわゆる舞台演劇を観に来る観客はとにかくストーリーより役者の演技の方に関心がある人の方が多いんじゃないかと思います。
ならば、ストーリーもその役者の人物設定も、または、何を言い何を表現しようとしているかくらいまでも理解していた方が白紙状態で観るよりいいんじゃなかろうかと思うわけです。
ボクは千秋楽後のあすぴーの舞台感想を読んだり、亜美ちゃんや綾乃さんたち女優さんのブログを読んでいつも思う事があります。
役者と観客。はたして同じ舞台をより楽しんでいるのはどちらか?
もう考えるまでもなく役者の方が楽しんでいるでしょう。
それは舞台を成功させるためにした苦労や努力や演者としての喜びがあるからだとは思いますが、それを全部差し引いても役者の方が舞台を楽しんでいると思います。
それは、その舞台について観客より遥かに長く接し、役について深く考え、ストーリーを理解しているからではなかろうかと思うわけです。もうネタばれどころの騒ぎではないわけです。
それなのに観客に対してネタばれを嫌うというのもなんか変な話だと思いませんか?
ボクは今回のような、また、好きな役者さんが出演するような類の舞台を観る場合は、ストーリーどころか台本の一字一句まで予め知って観劇した方が、何も知らないで観るより遥かに舞台を楽しめるような気がしてならないのです。
例えば彼女たちが一ヶ月間舞台稽古に励んでいる間、チケットを買った観客も同じ台本を熟読するわけです。好きな役者さんのセリフなら多分暗記してしまうと思います。ブログで役者さんが役が掴めなくて悩んでいるとか書いていたら、自分はこういう風に理解したけどとか言っちゃえるわけです。
逆に役者さん側はプロとして観客の想像を超える表現をしなくてはならないというプレッシャーと闘うことになるかもしれませんが、それが舞台のマイナス要素になるとは思えません。
公演当日、観客が役者と同じようなレベルで台本を把握した舞台っていったいどんなものになるでしょうか?
ボクは観客が何も知らないで観るものより、絶対に濃厚な舞台になると思います。
観客の焦点は役者の演技内容に絞られ
観客の心は役者たちと同じように物語の中に入り込めるだろうからです。
そういった舞台の緊張感・一体感は半端ないと思います。
長々書いたけど、まあ、いわゆる歌のライブはこのパターンですねw
歌詞を知らない歌より知っている歌の方が盛り上がるというw