エンパスと逆エンパスについての説明動画を見た。

HSPとの違いについてのブログなんかも参考にした。


これらの名詞を見て思う事


横文字があんまり好きくない。


日本語でいいましょうよ。


日本人なので本来なら縦書き右から←左に書きたいわけです。


縦に書いてみ。

意味わかんないから。


日本人が日本人であるのにこの数十年で英語化してすっかりそれがかっこいいと思わされて来た洗脳時代

まずそれがかなりの歪曲だという事

それに気がついてますか?


日本人の昔の人達は綺麗な文字を筆で書く。若い男女も美しい日本語や言い回しで美しく言葉を届ける。


戦時中の兵隊さん達が家族に送った手紙なんかテレビでやるでしょう。


なんて大人なの?


そして誠実なの?


(エンパスなので近々戦争時代の番組の撮影やら、編集などが作られて予告編などもテレビでやってそうな気配を感じながら書いてます。)


日本語は縦で右から左に書くので、横書きに変えなければならない時、

左から横に書きました。

その時の辛さってどんなだろうか?


読みにくいし、かきにくいわ!


ってなった事だろう。


すらすらすら、さらさらさら、とかけていた平仮名や漢字を横に書けだと?

ゴシック体でかけだと?


広報のための刷物には早々にそのような書かれ方が出回ったろう。


私の知るお婆さん達は、まだ縦に書きます。綺麗に書きます。

この数十年でみんな字が汚なくなりました。

だって横に書く文字じゃないんだから。


エンパスは

共感性が高感度な感性の気質

HSPは

繊細な五感のある神経質な体質


そういえば良くないでしょうか?


動物研究や精神疾患患者の病名や研究結果のネーミングみたいな呼ばれ方でなんか嫌です。


横文字、英略文字はわかりやすくていいでしょう。 

ネット社会では。


しかし、人と人なので、研究材料ではありません。繊細さんも妖精さんみたいで子供みたいです。


悪気はないとは思われますが、

人間を分類するのは星座ぐらいまで

で良い気がする。


本来は、人間はエネルギーの塊ですので、共通にこのエネルギーの交流は行われてあり、全ての人がその受信機のような身体にその能力が備わっているはず。


幼少期または、生まれてすぐに病院でいろいろと加工されてそのように過敏症な神経質な感覚になっている人だっているのです。

過剰なアレルギーだってそうです。

添加物に反応したり、食べられない種類があったりと器が小さくなったために病的にならさせた事もある。


特異体質をスピリチュアルな感受性という場合も多いけど本来みんなある。

お母さんの声に振り向いたり、人混みで似たような人ばかりの中から見つけたりもそうなので、


みんなある。


その高度なセンサーを何に向けるのか?の違いです。


昔の人達はそのセンサーが高いのでテレパシーを使って生活したという。

しかし、動物は今でもそうやって生きてます。


テレビはとても刺激を与えていて鈍魔化しているだけだと思います。好きな事だけにしか使わないようになったんだろうと。


特別なこのような講義をしている時代があり、

その内容はここでは書きませんが、

その共感の才能は誰でもある。


とにかく、なんでも横文字カタカナ英語の3文字にするのがあまり好きではありません。


風情がないのよ。


季節を感じ四季の変化を楽しんで生きてたのが人間なので、


俳句の句会で名作を読んで 〇〇〇なんだねって横文字いう人がいたら、

多分、出ていけといわれますよ。


そんな言い方しなくてもと

自分でもそう思うのですが、


そうなんだもの。みつを風


たくさんの人の文を見させていただく機会も増え、何か、何か、何かが足りないー!


集客に一生懸命はわかる。


でも、日本人って本来そうだったっけ?


違うような気がする。


それこそ、共感力が高く、共に生きている事を実感して、助け合ったりしていたのではないだろうか?


私の自分らしさ、私の一番大切な事、

とても個人をアピールすることに懸命になり過ぎているような気配を感じます。



SNSは商売のツールではあります。


が、それだけではなかったはず。


商売を目的としただけに


少し寂しい気持ちも感じたりした。


心の交流


ってものが以前のブログにはあった気がする。


コメント拒否している私がいうのもなんですけど。笑


それこそコメントの読み込みや返信の大変さもよくわかる時代になったからです。


炎上戦略や誹謗中傷などなどニュースでもよく取り上げられてしまうと物怖じしてしまいますよね。


昔は文学の世界はきっとあたたかかったのだろう。


でも、ブログに戻ってきたことは自分でよかったと思ってます。


文章は人間味が感じるからです。


実写映像の編集されたものは、とても主張が強い。そして、作られた感やシナリオ、広告PR感も強い。


人の感覚が入り込む。それこそ感受性豊かなら、その画面の人の感覚も感じてくる。


だんだん義務的になってるよね?とか

感じてしまう。

いいねや、フォロー、登録してね。と言われるとがっかりする。



とにかく、

横文字は日本語とは感じ難くなる。

研究用語に感じて私はモルモットじゃねーぞとか思ってしまう。



私の母親は国語教師で現代国語と古語を教えていた。(私は違う学校なので習いませんでしたが。)


そんな関係もあり、日本語を綺麗に話す

外国人の人達は好きです。片言で話す丁寧な日本語が嬉しい。


先に日本の丁寧語や敬語を学ぶからのようです。


砕けた日本語まで学ぶには級を進まなければならない。


彼らが綺麗な日本語を話すのに日本人はなーひどいな!と悲しくなることもよくあるのです。


ガシガシと金稼ぎにばかり目が眩んでいる。


スピリチュアルの世界は興味あるがそれも一つ間違えれば詐欺扱いされる世界でもある。


海王星逆行のこの時期でこそ、そのスピリチュアルな感覚がなんでこんなに日本人に広まったのかを考える機会が来たと思う。


スピリチュアルの語源はスピリットとナチュラルの合体した造語


魂(霊)と自然でよくなかい?


言霊の国 日本の国霊(魂)が悲しむ


国霊(魂)って今思いついたのだけど、

こんな言葉あったかな?あったかも。




そろそろ、ご先祖様が何か降そうとされているのをこの文から感じて


ませんか???



感じてますよ。


私は。


これが共感能力の感受性です。


多分、ご先祖様の魂が横文字ばかりを

見ていてそう思っていたのだろうと思います。






私はメッセンジャーの自覚があり、

手厳しい事を書く場合があります。

だけど、それは修正せずに書きます。


これはメッセージだ。

と思うのは、誤字がとても増えている場合。


私自身もよく文字打ちを間違えていますが、ちょっと今回は酷いなと思う時は、

何かからのメッセージです。


逆に間違えてない完璧だ!と思う場合も

かなりしっかりしたメッセージです。


その場合はその書かせている人が恐らくチキンとしている人です。


途中気がついたらそのような事を書き加えておきます。