「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画(読売新聞) - goo ニュース
確かに外国人は物の機微だとか風流さとか
そういうものの感じ方が日本人と違うというのは
聞いたことがある。
(鈴虫の声を聞いても、雑音にしか感じないとか)
でも、本当に日本人だけなのか?
ならば「おしん」が外国でも受け入れられたのは何故?
結果、オーライなら勝ち組だというのか?
確かに、「小公女」「小公子」みな勝ち組である。
また、日本人にはカルピス劇場シリーズで
この作品の知名度は高いけれども
諸外国ではこの作品の知名度自体が
あまりないのではないかという疑問もある。
それにしてもアメリカ人は難しいとしても
ヨーロッパ(ベルギーを除く)はどうなのだろう?
特にフランス映画など悲劇が多いと思う。
「禁じられた遊び」なども
子供が可哀想という意味では同じと思う。
アメリカ映画でも「スターリングラード」で
ソ連側で活動した子供がドイツ軍に吊るされたが
あれを可哀想と思う心理があれば
ネロを「負け犬の人生」というので
片付ける心理は理解できない。
フランダースの犬の原作はどうなのかわからないが
TVを見る限り、貧者に対する、大人が子供に対する
非情な差別であって、魔女狩りさながらである。
作者が真に何を伝えたかったのかは解らないが。
作者はヴィーダというイギリスの女流作家だ。
私の記憶が確かならば、彼女は旅行が好きで
住まいも転々とし、旅行先で確か客死していた。
居場所がなかったと考えるならば
ネロと共通点はある。
19世紀~20世紀あたりのイギリス文学は
流行なのか似たような悲劇が多い。
「嵐の国のテス」(本当の題名は「ダーバビル家のテス」)
「林檎の木」など・・・
イギリス人なら日本人のこの感覚、解るかも知れない。
人間社会は、うまくいかない大勢がうまくいく人間を
支えているピラミッド構造であって
みんなが成功者など悲しいけれどありえない。
「終わりよければすべてよし。」
確かにそうだといいのだけれど
何か、こればかりでも疲れるというか
日向ばかりで影を認めない心理は
ある意味病的なのではないかと思う。