
昭和の風景、と言われて思い出すもの。
色々あるが、個人的には
以前はどこにでもあった
裸電球の街灯をあげたい。
裸電球の街灯に関しては
私だけの個人的な感覚なのかもしれないから
誰でもが共感できるものかどうかはわからない。
裸電球の街灯はだいたい
木の電信柱に取り付けてある。
その灯りは、ほの暗く、暖色で辺りを染める。
その光の中にある風景は毎日見慣れた物のはずなのに
昭和の町の雰囲気を醸し出し
さまざまな記憶を呼び起こす。
実家の近くに大きなセメント工場があった。
その工場で働く社員の社宅が
小さな集落を形成しており
その集落の街灯は裸電球だった。
そして他の地域が蛍光灯の街灯に切り替わっても
その一角は、なぜか裸電球のままだった。
その暖かな風景が好きで
夕方薄暗くなってわざわざその周辺を歩いたものだ。
この前、実家に帰った際
久しぶりにウォーキングをかねて
その周辺を薄暗くなってから歩いてみた。
すると、風景が違う。
寒々とした光で殺伐と感じられた。
そうなのだ。
とうとうここにも蛍光灯の波が来たのだ。
もう、その風景が「おかえり」と
言ってくれる事もなかった。
もし、身近に裸電球の街灯があったら
是非、夜にその光の世界を見て欲しい。
そこには、私達が忘れてしまった
昭和の匂い、温かさ、懐かしさが
今も息づいていると思う。
今、もう裸電球の街灯は絶滅寸前か
既に絶滅しているだろう。
もう身近に、生きた昭和の雰囲気を感じ
タイムスリップのできる空間を望むのは
私のただの感傷でしかないのだろうか?
コメント
10 コメント(10/1 コメント投稿終了)
コメント日が 古い順 | 新しい順
- 木の電柱も見ません (yarukinoki)
- 2007-11-24 22:17:01
- つばくろうさん、こんばんは。
街灯は小さいころあまり気にして見たこと無かったので分かりませんが、木の電柱は本当に見かけなくなりました、数ヶ月前見かけたのですがだいぶ山の中で使われて無さそうでした。
街灯ってそれぞれの地域によって取り扱いが違うと思うのですが、私の住んでるところでは、自治体側で設置し管理、役所で予算が無くても町内会が電力会社に申請し電柱に設置することが出来るらしいです。
その場合、経費はもちろん町内会持ち、電気代も蛍光灯代も町内会で持つことになるため自治体へ寄贈する形をとるようです。
近頃は小さい子供を狙った事件があちこちで起きているので、お役所も住民からの要望による街灯の新設や古い器具の更新には敏感なのかも知れませんね。
風景ではないのですが、蚊取り線香や盆カレー、大村崑のオロナミンCの看板は昭和の懐かしさ感じます。
- 裸電球ですかぁ~ (アクビ)
- 2007-11-24 22:30:44
- こんばんは!
東京は今日1日、よいお天気でしたよ♪
裸電球の外灯ですか~。
見ないですねー。もう絶滅しちゃったんですかね。。。
北海道の奥地とかに行けば、あるかもしれませんよ!
(おばあちゃんの家が北海道なので、今度行ったら
チェックしてみようかな)
あたしの「昭和の風景」といえば、
風景ではないのですが、「セーラー服」かな。
白いブラウス(っていうのかな)に、紺色のスカーフ。
ちょっと長めのプリーツスカート。
見かけなくなりましたよね。
昭和の風景といえば「オールウェイズ三丁目の夕日」という
映画が流行っているようです。
みんな、どこかで昭和の懐かしい風景を
求めているんでしょうね・・・
- 別の視点 (つばくろう)
- 2007-11-25 08:38:32
- おはようございます!
大分は快晴です。
木の電柱、山奥で寂しく朽ち果てていましたか・・・
なんだか、寂しい気分になりますね。
街灯を、町内会が・・・これもシビアですね。
確かに蛍光灯のほうが明るいですね。
蛍光灯の街灯がまだ今ほどなかった頃(何歳?ってい思われそうですね^_^;)、明るい!って思っていましたから。犯罪防止の観点、なるほどと思いました。
最近は、イギリスかアメリカで実績が上がったという事で、青色の街灯が注目されているらしいですよ。
興奮を鎮める作用があるらしいんですが。
そうですね、看板も。
大分の豊後高田市というところが昭和の町をコンセプトにそういった懐かしグッズを展示したりして町おこししています。
オロナミンC、ボンカレー、オロナイン、金鳥の蚊取り線香などなど、本当に郷愁を誘います。
- みんな失って気付く (つばくろう)
- 2007-11-25 08:57:18
- アクビさん、おはようございます!
大分も、連日快晴です!
気持ちがいいです!ここから車で少し走らすと
日本一の吊橋があって、紅葉のスポットになっています。今日は多いだろうなー。
おばあちゃん、北海道ですか。いいなー、北海道。
一度行ってみたいんですが。
北海道はそういった懐かしの風景がまだ健在ですか?
先日、竹楽で訪れた竹田市は昔情緒のある佇まいの
町なんですが、中心地にはありましたよ。
裸電球の笠付きの街灯が。
アクビさんは、セーラー服なんですね。確かに、最近は猫も杓子もデザイナー仕様のリセエンヌスタイルが隆盛を誇っています。以前、いた土地には歴史のある女子高があって、そこが今も確か、夏服が白のセーラーだと思います。
ALWAYS、人気ですね。
その気持ち分ります。いまでも、古い昭和民家を見ただけで胸がきゅんってなりますし。
否、町にあふれている鉄筋のきれいな店舗、ビル。
最初出現し始めた時、なんてきれいで垢抜けてるんだろうと思いました。今までの建物とか風景が煤けて見えたものです。でも、それが失ってはいけない何かだったような気がします。大事な物はなくなってから気付くものなんですね。悲しいけれど。
- 実は知っています (yarukinoki)
- 2007-11-25 21:06:56
- こんばんは。
裸電球の街灯がどんなものかは知っています(^_^)。
電気関係の資格持っててそちらのほう少しだけ明るいです。
古い建物の電気配線なんか興味持って見いったりすることもあるんです。碍子引きと呼ばれるやつなんですが‥。
実は私、今月の初めぐらいに、昔の食事を味わう会のようなものに出席してました。
古い建物(昭和初期ごろだと思います)を移築した施設がありそこで、赤飯と煮物、お吸い物などを食べその感想を話しあったりするものなのですが。
参加したみなさん、薄味で素材の味が楽しめて‥、料理方法なんかもいろいろ想像でき美味しくいただいたとの感想でした。
確かにおいしかったのですが、私は正座した足がしびれてそっちのほうで大変でした(笑。
- 勉強になります (つばくろう)
- 2007-11-25 23:54:48
- 碍子引きですか。
さすがです。碍子って電柱についている陶器のようなものですよね?
日本ガイシのガイシは碍子だったんですね。
資格ってこういうところでも実力を発揮しますね。
昔の食事を味わう会・・・すごいですね。
メンバーにどんな人がいるのか興味深深です。
歴史の建物で食事をすると気分が違うでしょうね。
もっとも私も正座は苦手です。
でも、よほどあらたまった席でない限り、お断りしてくずしてもいいんじゃないかと個人的には思います。
私も、以前いた土地のすごく歴史のある料亭で、ある作家が逗留したという部屋で戴いた事があります。
大正建築で華があって雰囲気のある建物でした。いい時間をすごせました。
- 最近見かけなくなった裸電球の街灯と木製電柱 (タクロウ)
- 2009-02-23 22:46:15
- 昔は茶色の木製電柱は道路にあったんだ。空中に架け渡す電線や引き込み線として建物に電気を配電するためのトランスや絶縁のための碍子はあるんだ。2本又は3本の電線を架け渡す木製電柱は今は見かけなくなり、コンクリート又はアルミ製の電柱に変わったんだが、電線は地中に埋設されてしまい、電柱がないんだ。夜になると裸電球が灯ったんだ。手でスウィッチを入れて点け、切って消す方式でやったのが懐かしい。今は水銀電球や蛍光灯の街灯になったから昔の電球と違い、明るく見えるんだ。
- 埋め込まれる所も多いですね (つばくろう)
- 2009-02-24 08:42:25
- タクロウさん、おはようございます。
お越しいただきましてありがとうございます
本当に昔は木製の電柱だったのにいつの間にか
コンクリやアルミ製になっていました。
ここ最近は地中に電線が埋め込まれるようになって電柱自体がないところもありますね。
といっても、こちらは田舎なのでまだまだ
電柱は健在ですが
昔の電柱は手動式だったのですか
あまり考えたことはなかったです。
本当に最近は蛍光灯や水銀灯で寒々というか
殺伐言うか、明るいのだけれど無機質な冷たい光になったと思うことがあります。
地球温暖化を考えると裸電球はよくないですけれど。
いっそのこと、記事でも書いているように
青い光の街頭にするといいのかもしれません。
昭和の裸電球の薄暗さ。
でもそこには多少の温かみも感じられて。
本当に昭和は遠くなったのだなぁと思います。
- 懐かしの裸電球の街灯 (タクロウ)
- 2009-07-06 20:58:50
- 僕は幼稚園の頃、千葉県の中山の家に住んでた頃、裸電球の街灯が2階のヴェランダから見たのを覚えています。中山の家から小学校入学前に東京都港区白金の狭い部屋の職員住宅に引っ越して入居し、杉並区宮前の2階建ての家に引っ越して住んでから途中までしか舗装されてない道に裸電球の街灯がありました。今は道が舗装され、裸電球の街灯がなくなり、蛍光灯の街灯に変わったのです。五日市街道を行くと松庵には裸電球の街灯が残っており、近くの春日神社境内に裸電球の街灯が残っています。今は裸電球の街灯は消滅し、蛍光灯と水銀の街灯になったのです。

- コメントありがとうございます (つばくろう)
- 2009-07-08 14:50:51
- こんにちは。
裸電球の風景が小さいときの記憶の思い出として残っているんですね。
裸電球の仄暗いけれど暖かい光と風景は
消費電力や明るさ、寿命の観点からも
蛍光灯や水銀灯に取って代わられるのは
仕方のないことなのかもしれませんね。
それにしても、寂しい限りですね。