というわけで、またもや戦国時代の人物紹介記事です。
今回は、明智光秀!
もちろんあの「本能寺の変」を起こして、信長を倒した裏切り者。
……なのですが、この人は実はかなり優秀な人で、もし条件が違っていたら、
信長、秀吉、家康と並ぶような大々名になっていたかもしれない人なのです。
そして、「本能寺の変」も……
光秀側から見たら必然的、というか、謀反しなければならないところまで信長に追いつめられていた、という面もあります。
信長側にも、謀反されても仕方のないような悪い面もあった。
そしてもし、「本能寺の変」が起こらなければ、逆に戦国時代はもっと長引いていたかもしれない……
この辺りは、面白いところですね。
では、カンタンに明智光秀の生涯を書いてみます。
明智光秀は、1528年に美濃(岐阜県)で生まれた。
元々は美濃の守護職の土岐氏の一流だったらしい。
そう、斎藤道三が取りいって美濃支配の足がかりにした土岐頼芸(とき よりなり)の一族で、源氏の流れを引く高貴な血統だった。
若い頃は斎藤道三に仕えて、
1556年の斎藤道三と斎藤義龍との親子合戦の時にも、道三側に味方した。
(この時28歳)
道三が負けた後は、諸国を放浪。
朝倉義景に仕えたり、足利義昭に仕えたりしながら、
1567年ころ、織田家に仕えるコトになる。
実は織田家に光秀が仕えたのは、光秀がもう40歳近くになってから。
この時、信長は34歳、秀吉は32歳と……
信長、秀吉より光秀の方が年上だった。
そして織田家に仕えてからはその人脈と能力を最大限に発揮し、あっという間に織田家でも5本の指に入る家臣となった。
出世は秀吉よりも早く、
1571年には領地を与えられ、琵琶湖畔に坂本城を自身で建てるコトを許されて、城主となる。
(秀吉が正式に信長から領地を与えられるのは1573年)
光秀は領国の統治にも才能があり、領民に感謝されるような善政を行った。
1582年、しかし信長は光秀に……
「今までの領国は取り上げる。新たにニ国、毛利家から奪えばその二国を与える」
という非情な命令をする。
突然、「今まで育ててきた領国は没収。新たに戦争をして領地を奪え」
という命令をされたワケだ。
この時、光秀は既に55歳。戦争をして領地を奪うにも、2、3年はかかってしまうだろう……
追いつめられた光秀に、信長が少数の手勢で本能寺に宿泊する、という情報がもたらされる。
「信長を殺すか?」
光秀には秀吉への援軍として与えられた1万3000の軍勢があった。
こんな機会は、二度と無いだろう……。
この謀反には、光秀も相当迷ったらしく、直前に愛宕大権現という神社にこもって
「おみくじ」を三回引いた、
というエピソードがある。
ちょっとココは情けないかも……
(^-^;)
まあとにかく謀反を起こして
「本能寺の変」
という事件を起こし、仮の天下人となった光秀だが……
予想に反する早さで戻ってきた三万を超す秀吉の軍勢と合戦し、
(山崎の戦い)
討ちとられてしまう。
本能寺の変のたった12日後。
55年の生涯だった。
というわけで、実は光秀は15年くらいしか織田家には仕えていないのですが、織田家では最高レベルの司令官にまで出世していました。
鉄砲の腕も一流、軍の統率力も優れていて、また文化人として和歌や茶道の知識もあり……
文武両道な人間だったようです。
しかし、信長は晩年、暴走気味だった。
光秀も一方的に殴られたり蹴られたり、また理不尽な命令もあったり……。
信長は西日本統一後、中国へ侵略戦争を仕掛けるつもりだったという説もあり、もしかしたら毛利家との戦が終わってもまだまだ戦が続いていたかもしれない。
また、信長のあまりに強引なやり方に反感を持っていた家臣は光秀以外にも多かったと思われるので、もし光秀が「本能寺の変」を起こさなくても、その後に誰かが反乱を起こしていたかもしれない。
たまたま謀反を起こす条件が揃ってしまった光秀、そこが実は悲劇的なところだったと思います。
まあ、「本能寺の変」には様々な陰謀説があって……
「秀吉の陰謀説」
「家康の陰謀説」
「足利義昭の陰謀」
などなど、どれも一理ある説になっています。
また、「光秀は山崎の戦いの後生き残って、南功坊天海という僧侶になり、家康の参謀となった……」
なんて説もあり……
面白いですね。
(日光の華厳の滝が見える平地は「明智平」と呼ばれていて、天海が名付けたとされている)
光秀も、 もし織田家ではなく毛利家あたりに仕官していたら……
能力のある人だけに、 また全く違う活躍をしていたかもしれません。
司馬遼太郎先生も、「国盗り物語」の後編では、信長より光秀に同情しているような書き方をしていますね。
おっと、長くなった……
とにかく、明智光秀、戦国時代のいろんな「if」の中心にいる人で……
魅力的です。
「本能寺の変の前に、おみくじを三回引いた」
なんていう人間味のあるところも、好きですね。(笑)
へそ天!
ゆないキズトでした~!
今回は、明智光秀!
もちろんあの「本能寺の変」を起こして、信長を倒した裏切り者。
……なのですが、この人は実はかなり優秀な人で、もし条件が違っていたら、
信長、秀吉、家康と並ぶような大々名になっていたかもしれない人なのです。
そして、「本能寺の変」も……
光秀側から見たら必然的、というか、謀反しなければならないところまで信長に追いつめられていた、という面もあります。
信長側にも、謀反されても仕方のないような悪い面もあった。
そしてもし、「本能寺の変」が起こらなければ、逆に戦国時代はもっと長引いていたかもしれない……
この辺りは、面白いところですね。
では、カンタンに明智光秀の生涯を書いてみます。
明智光秀は、1528年に美濃(岐阜県)で生まれた。
元々は美濃の守護職の土岐氏の一流だったらしい。
そう、斎藤道三が取りいって美濃支配の足がかりにした土岐頼芸(とき よりなり)の一族で、源氏の流れを引く高貴な血統だった。
若い頃は斎藤道三に仕えて、
1556年の斎藤道三と斎藤義龍との親子合戦の時にも、道三側に味方した。
(この時28歳)
道三が負けた後は、諸国を放浪。
朝倉義景に仕えたり、足利義昭に仕えたりしながら、
1567年ころ、織田家に仕えるコトになる。
実は織田家に光秀が仕えたのは、光秀がもう40歳近くになってから。
この時、信長は34歳、秀吉は32歳と……
信長、秀吉より光秀の方が年上だった。
そして織田家に仕えてからはその人脈と能力を最大限に発揮し、あっという間に織田家でも5本の指に入る家臣となった。
出世は秀吉よりも早く、
1571年には領地を与えられ、琵琶湖畔に坂本城を自身で建てるコトを許されて、城主となる。
(秀吉が正式に信長から領地を与えられるのは1573年)
光秀は領国の統治にも才能があり、領民に感謝されるような善政を行った。
1582年、しかし信長は光秀に……
「今までの領国は取り上げる。新たにニ国、毛利家から奪えばその二国を与える」
という非情な命令をする。
突然、「今まで育ててきた領国は没収。新たに戦争をして領地を奪え」
という命令をされたワケだ。
この時、光秀は既に55歳。戦争をして領地を奪うにも、2、3年はかかってしまうだろう……
追いつめられた光秀に、信長が少数の手勢で本能寺に宿泊する、という情報がもたらされる。
「信長を殺すか?」
光秀には秀吉への援軍として与えられた1万3000の軍勢があった。
こんな機会は、二度と無いだろう……。
この謀反には、光秀も相当迷ったらしく、直前に愛宕大権現という神社にこもって
「おみくじ」を三回引いた、
というエピソードがある。
ちょっとココは情けないかも……
(^-^;)
まあとにかく謀反を起こして
「本能寺の変」
という事件を起こし、仮の天下人となった光秀だが……
予想に反する早さで戻ってきた三万を超す秀吉の軍勢と合戦し、
(山崎の戦い)
討ちとられてしまう。
本能寺の変のたった12日後。
55年の生涯だった。
というわけで、実は光秀は15年くらいしか織田家には仕えていないのですが、織田家では最高レベルの司令官にまで出世していました。
鉄砲の腕も一流、軍の統率力も優れていて、また文化人として和歌や茶道の知識もあり……
文武両道な人間だったようです。
しかし、信長は晩年、暴走気味だった。
光秀も一方的に殴られたり蹴られたり、また理不尽な命令もあったり……。
信長は西日本統一後、中国へ侵略戦争を仕掛けるつもりだったという説もあり、もしかしたら毛利家との戦が終わってもまだまだ戦が続いていたかもしれない。
また、信長のあまりに強引なやり方に反感を持っていた家臣は光秀以外にも多かったと思われるので、もし光秀が「本能寺の変」を起こさなくても、その後に誰かが反乱を起こしていたかもしれない。
たまたま謀反を起こす条件が揃ってしまった光秀、そこが実は悲劇的なところだったと思います。
まあ、「本能寺の変」には様々な陰謀説があって……
「秀吉の陰謀説」
「家康の陰謀説」
「足利義昭の陰謀」
などなど、どれも一理ある説になっています。
また、「光秀は山崎の戦いの後生き残って、南功坊天海という僧侶になり、家康の参謀となった……」
なんて説もあり……
面白いですね。
(日光の華厳の滝が見える平地は「明智平」と呼ばれていて、天海が名付けたとされている)
光秀も、 もし織田家ではなく毛利家あたりに仕官していたら……
能力のある人だけに、 また全く違う活躍をしていたかもしれません。
司馬遼太郎先生も、「国盗り物語」の後編では、信長より光秀に同情しているような書き方をしていますね。
おっと、長くなった……
とにかく、明智光秀、戦国時代のいろんな「if」の中心にいる人で……
魅力的です。
「本能寺の変の前に、おみくじを三回引いた」
なんていう人間味のあるところも、好きですね。(笑)
へそ天!
ゆないキズトでした~!