二人は北の方に広い海がある町で暮らすことになりました。極端に少ない荷物を今日から住む家に運びこむと、二人は海を見に行くことにしました。混沌とした住宅街沿いの道をまっすぐ会話もなしに二人は歩きます。冷たい風が体温を奪っていきました。のろのろと歩き続けると住宅はまばらになっていき、古びた工場や廃墟が姿を現します。工場は灰色の亡霊で廃墟は真っ黒な影のように見えました。ここは人に見捨てられた町なんだわ、と朱里は思いました。
工場も廃墟もまばらになってくると、そこには海があります。空は厚い雲に覆われどんよりとしています。そのせいで海の色も綺麗とは言えませんでした。海沿いにはコンクリートの道が長く長く続いています。ただ汚い塩水に浸かった長細いコンクリートが横たわっているだけの景色でした。そこにはごつごつとした消波ブロックは置いてありません。朱里はあのブロックが嫌いでした。あれが海岸沿いに死体に虫が群がっているかのように置いてあると寒気がするのです。朱里は小さい頃あのブロックが重なり合ったところにできる隙間に落ちて、白い足が大根おろしで擦ったようにささくれだってしまったことがありました。でも不思議なことに朱里は海のことは決して嫌いではないのです。
朱里と樹は長いコンクリートの道をひたすら歩きました。あんまりどこまでも歩きすぎると町に帰るのが大変になるというのに、歩き続けました。濁った海は上下に激しくうねり、波はコンクリートの道の壁に直にぶつかって轟音とともに水飛沫を飛び散らせていました。ブロックがないからそうなってしまうのです。
樹は行き先も決めずに旅に出て、辿りついたこの町で新たな暮らしを始めるというのは案外つまらないものだな、と考えていました。自分の中に強く零れ出てくるほどの感情がない。ほとんど溢れ出てしまって消えてしまったのだろうな。この町のことは何も知らない。興味もないのだ。ただ今この目の前に広がる海だけを知っていればいい。もうこれから先の人生で何かを手に入れたいとは思わない。樹は横に並んで歩く朱里を横目で見ると、君もそう思うだろう?と心の中で呟きました。二人はとうとう道の行き止まりまで辿り着きました。二人の沈黙と海の荒れ狂った様子はとても似通っていました。
家に着くと朱里はそこから始まる生活など存在しないように思えました。朱里は脱いだコートを手渡してくる樹の指の先に触れたとき、あなたもそう思ってるはずよ、と心の中で呟きました。二人の体温は冷たい風に奪われたまま回復することはないのです。なぜなら二人は今日心中するからです。新たに始まる生活など絶対に存在するはずがないのです。だから二人はこの町をつまらないと思ったのです。もう知る必要も知りたいという気持ちもないのですから。
朱里はたった一つ持ってきたバッグから大量の薬を取り出しました。バッグにはそれ以外に財布、香水、ハンカチ、ペットボトルの水が数本だけです。樹も同じように自分の革の鞄から大量の薬を取り出しました。鞄にはそれ以外に財布、文庫本、煙草、ペットボトルの水が数本だけです。樹は煙草に火をつけて一口吸うと、朱里にくわえさせました。そしてもう一本取り出し火をつけて吸いました。二人は一本の煙草をゆっくり時間をかけて吸っているうちに、自分の中のゆるがない気持ちにとうとう気づきました。
この町に冷たい針のような雨が降り始めました。屋根に激しく叩きつけられる雨の音だけが家の中に響きます。樹がくわえ煙草をしながら薬を黙々と机に並べていると朱里が沈黙を破りました。
「…私達、死ぬ為にこの町にきたのね」
「そうさ。忘れていたのかい?」
二人が微笑み合うと、この家にはまた沈黙が訪れました。





