2021年10月に進行性核上性麻痺と診断された夫

前年まではどうにか稲作をしていました。
作付けは多くはなかったですが、それでも必要な機械をすべて揃えて、ぼちぼちしていました。
機械を買うたびに何回分ものボーナスを注ぎ込み私はその値段に怯えていました。
とてもじゃないけど、農業で買える値段ではありません。
夫は診断される前年、すでに作業の段取りや後片付けがあやふやになっていました。

2021年の春には、腰の調子が酷く悪くなり、歩く事もままならない日がありました。(腰の調子ではなかったかもしれません)
そこで、農地を大規模に引き受けている方に作業委託をお願いしました。
農地そのものを委託にした方がコストがかからなかったのですが、まだ夫は調子が良くなったら農作業ができると思っていたのかもしれません。


確定診断されて、翌年からは農地そのものを委託にしました。
昔は委託先から小作料という名目でお米を納入していただいたようですが、今は管理してもらうだけでありがたい時代になりました。
なので、委託先から一年分のお米を買います。


購入した時には生活を脅かすほど高かった農機具は、中古農機具買取業者に買い取ってもらいました。
売る時は二束三文ショボーン

生活の足りにもならない程度でした。

私も専業主婦時代は熱中症になりかける程稲作の作業をしていたので、これが無ければもう少し楽なのにと思っていました。
けど、いざ農機具が吊り下げられて、持っていかれるのを見ると、切なかったです悲しい



もう一つ、うちは代々桃の栽培をしていました。

一時はたくさん出荷していましたが、2000年に義母が両膝を人工関節換置術を受けて、農業を引退し、私1人で作業する事になりました。
義母は1人で作業していた時期もありましたが、私は1人では限界でした。
義母から畑を引き継いだ2000年から少しずつ作付けを減らし、最近では親戚や友人に差し上げる程度にしていました。
夫は、防除作業と草刈り作業を手伝ってくれていましたが、病気を診断される前から出来なくなり、私は桃栽培をやめることを決めました。

それでも喜んで食べていた孫たちに食べさせてやりたくて、わずかに5-6本を残して、切りました。

自分で植え、育てた桃の木をチェンソーを持って自らの手で切る時、何とも言えない気持ちでした。

わずかに残した桃の木も切り、代々続いた桃栽培も、昨年で終わりにしました。
桃の花が咲く中作業した事、桃の小さな実を間引いていてムカデに噛まれた事、毎日毎日袋掛け作業をした事、雨の日も雨具をきて桃の収穫をした事も今となっては良い思い出。

できる事ならもう少し続けたかったですが、
獣害もひどくなり、また夫の介護を続ける中、もうできないと諦めました。


寂しい事ですが、ひとつひとつ諦める事も病気を受け入れる事なのでしょうね。