自己犠牲と自己愛のバランス | § Unconscious Control §

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自己犠牲

 

自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)とは、

何らかの目的や他者のために、自己の時間・労力

・身体・生命をささげること。(Wikipedia)

 

 

自己愛

 

一般的にはナルシスト、自分のことを好きすぎる

と勘違いされがちだが、ありのままの自分を愛す

る事が出来ない人が自分自身に抱く愛情を指す言

葉。

 

 

 

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(以下個人的な見解)

 

自己犠牲の精神とはよく宗教的に重視される価値観であり、自己犠牲の根本には

調和と愛があります。一つになろうとする力、(全体の)バランスを保とうとす

る力、何かを繋げる為に自らの何かを差し出すという行為。

 

自分の存在よりもそれ以外の何かに重きを置く世界観が根本にあり、自虐的意味

合いやネガティブな要素としても使われがちだが根幹に有るものはは人、又は宇

宙への愛。

 

度が過ぎるととても健康的なモノだとは言い難いが、人として調和して生きて行

く為にはとても大事な要素であり、基盤にあるもの。

 

自分と他者が調和していることの重要性を知っている人間が持つ感覚的精神の一

つ。

 

 

 

 

自己愛者は理想の自分というモノを常に高い位置に置いており、それにそぐわ

ない自分を常に責め、人前で恥をかく事を極端に嫌がる性質がある。又は、自

分の理想的空間や価値観に合わないものモノを排除し、自分の好きなものだけ

に固執し排他的で孤立し生きて行く傾向がある。

 

批判的であり(表現の有無に限らず)、自分を傷つけるものは悪だと敵視し、

個人間での価値観の違いを認め合う事が出来ず、自分の中の感情や思考を整理

できていない事が多い。何かしらの要素を見つけ自分以外のものに問題点をす

り替え正当化して自分のアイデンティティー又は空間を保持している場合が多

い。

 

 

 

 

自己犠牲にしても自己愛にしてもだれでも多少は持ち合わ

せているものだが、大事なのはそのバランス。そのバラン

スをコントロールできている事に加え、意識できている事

を他者に明確に表現する必要がある。

 

この世に存在する、全てのポジティブとネガティブの両方

を否定せず受け入れその双方が共存している事をありの

まに認めることによりこの世界はあらゆるものが同時に

在するテーマパークだという事に気づく。

 

そして自分の中にも縮小版の小宇宙が存在しておりその全

てをありのままに肯定する事によりネガティブ要素を持っ

ている自分を責め続ける事も無くその浮遊した感覚の中で

の揺らぎを楽しむ事ができる。

 

綺麗なものだけを求め、全てに恐れ、すぐに狭い世界に逃

げ込もうとする感覚というのは全ての事象を肯定していな

い考え方そのものにある。

 

 

 

 

 

とまあ久しぶりに長い事をタラタラ記事にしてみたけどもこう作業ってやらな

いと鈍るもんだな〜。自分の頭の中にある感じた事を整理してアウトプットす

る事はとても大事だなと久々に感じたのであった。書き出しながら思う事もあ

るし。たま〜に何かに焦点当ててグリグリ考えてみるのもまた良し。

 

なんでこんな事を書いたのかと言うと

 

ま〜どこへ行ってもどこに居てもこれの繰り返しだからです。

人とのやり取りの中での駆け引きはほとんどがこれのバランス

と陣取り合戦だからです。

 

こう言う駆け引きのない愛を育みたい今日この頃。

駆け引き見えちゃうとね・・・冷めますよね色々と(笑)

 

 

 

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