1. バカもいるいるアホもある?
「オーラ~、スイッチー!」(ハ~イ、そういち?)
やっとスペイン語学校の階段を上りきった所で、思いっきり肩をたたかれ
た。クラスメイトの“バン”だ。2メートル近いオランダのマッチョマンが
金髪の下から青い目で見下ろしてる。やたら声がでかくて、授業中も何かと
いうと机や椅子を叩くやつだ。だいたい名前が悪いや!
でもお手柔らかに頼むよ、こっちはごく華奢にできてるし、それにいま腹
ぐあいが、その、ちょっとした衝撃で・・・。 なんとか笑顔をつくろって
トイレに直行すると、やっぱり末端トンネルを腸特急が通過した。
こんな状態がもう一週間以上になる。家を出て二十分、目の前に学校が近
づくと腹の中が騒乱状態に陥る。なるほど、これが登校拒否の心理というも
のか。日本の子供たちを救いたいなんて偉そうなこと言って出てきて、自分
が登校拒否してちゃ世話ないや!
なんたって二週間前のクラス替えがいけなかった。
新しい教室に行ってみると、バンより背の高いスイス人を筆頭に、オラン
ダ、チェコ、アメリカの二~三十代のむくつけき男ばかり、日本人なんか
この年寄りただ一人だ。そのうえ可愛いチーカ(女の子)なんか一人もいや
しない。
まあそれはよしとしよう。問題は彼らが驚異的に優秀だってことにある。
ただ一人のチーカ“カルマ”、そう、ちりちりパーマでヘソ出しルックの
彼女が先生なんだけど、毎回カッコつけて小難しい新聞や雑誌の囲み記事を
コピーして持ってくる。「自然保護会議」や「世界の謎に挑む科学者たち」
なんて、専門用語はいっぱい出てくるし文章はこみ入ってるし・・・、そい
つを三分以内に読んで下の問題に答えろ、ときちゃう。
こっちは辞書を引き引き、見出しとせいぜい一行訳すだけで時間切れだ。
ところが、やつらは記事全部を一分半で読み終え、三十秒で解答しちまう。
あとの一分は「なんでこんなのわからないんだ?」と人の顔を不思議そうに
覗き込む。不思議なのはこっちだよ、あんたら何で学校に来てるんだい?
でも理由はちょっとわかってきた。ここスペインは語学学校の授業さえ受
けていればいつまでもビザが延長される。その上一日三時間までならカフェ
やバールで働いてもいいなんて、彼らにとっちゃ天国みたい、そりゃあスペ
イン語だって上達するだろう。
それにある本にはこんなことも書いてあった。欧米の言語、とくに英語は
難しい専門用語のほとんどがラテン語だ。つまり難しい言葉ほどスペイン語
にそっくりってことになる。なるほど、やつらに敵うわけないや!
相変わらずカルマ嬢は次々にコピーを配り、こっちは一問も解答できない
まま、前半の一時間半が経過する。 これはこれでけっこう辛いけど、まだ
まだこれからがほんとうの地獄の苦しみなのだ。
後半は会話中心で、数グループに分かれて生徒同士が話し合う。すると
やつらは待ってましたとばかり、もの凄いスピードでしゃべり始めやがる。
だけどそれがさっぱり聞き取れやしない。
あのねー、スペイン語のAは「あ」なの。「いぇ」でも「うぁ」でもない
の。そんな発音じゃ街の中でも通じないよっ!、と言いたいとこだが、これ
が何故か先生のカルマには通じちゃう。聞き慣れてるんだろう。 で、また
またこっちは四面楚歌ってわけだ。
本来、スペイン語ってのは日本人に一番向いてる。母音は「あいうえお」
が中心でとってもシンプル。 英語やフランス語みたいな難しい発声なんか
ほとんど必要ない。だから日本語にめちゃくちゃ似てる。 そう、あんまり
似すぎてて思わず笑っちゃう。
たとえば「バカ」は雄牛のこと。でも、綴りが一つ違えば車の屋根の上の
棚だったりする。それに魚の鱈だって「バカラオ」だ。そこら中に「バカ」
がうじゃうじゃいる。
いや、「アホ」だってある。ニンニクだ。スペイン人は「アホ」大好き、
ほとんどの料理にたっぷり入ってる。それだけじゃない。「ミラ、ミラ!」
が「見て、見て!」で、「ダメ!」は「ちょうだい!」となると、ちょっと
ばかり戸惑っちゃう。でもそれがなんとも興味深い。毎日が笑いとビックリ
の連続なのだ。
言葉だけじゃない、このバルセロナという街がまたなんとも楽しい。

海から山へゆっくりとはい上がっていく市街には縦横斜めに広い街路が走
り抜け、そのいくつかは真ん中に人が散歩するための歩道までついてる。
地中海の風に誘われ街路樹の木漏れ日の下をそぞろ歩けば、あちこちでガウ
ディやピカソの遊び感覚いっぱいの作品が迎えてくれる。そのうえ地下鉄や
バスはタダ同然、食べ物だってどれもこれもが新鮮で安い。
ほんとに夢のよう、よくここまでやって来たものだ! とくにこの一年、
次から次へ信じられないハプニングや事件が荒波のように襲ってきた。それ
こそビックリとドッキリの連続、そのたびに何度あきらめかけたかわかりゃ
しない。それを思えばこんな授業なんて屁にも下痢にもあたりゃーしない。
それにしても、スペインという国もそこにどんな町があるかも知らずに
適当に地図を指さして決めたにしちゃあ、バルセロナは大当たりだった。
人間やっぱり、運命に身をまかせるってことは大切だ。しょせん人生なんて
神さまの言うとおりだもんな~。
「ヘイ、スイッチー!」
また“バン”が肩を叩いた。痛いな~、だいたいボクはそんな名前じゃ
ないってば。なに、次はお前だ? え、もうこっちの番が回ってきたのか!
スペイン語は動詞の変化がハンパじゃない。過去形だけで五つもあって、
その上に接続法なんていうのまである。 「あいつのこういうトコに迷惑
してる」とか「もしこうだったらあ~なるんだけど・・」とかいう場合に
使うらしい。 そういえば今はその接続法を使って何かしゃべらなきゃなら
なかったんだ。全員の視線が突き刺さる!
なに、もしも大金持ちになったら???・・・、う~ん!

もちろんみんなが何を話したのか一つも聞き取れちゃいないない。ここは
何か奇抜なことをしゃべらないと・・・。 むむっ、何も出ない時にはあの
手を使うしかないか。 なんでもいい、やっちまえ!
「もしも大金持ちになったら、地中海はマヨルカ島の豪邸のベッドの上で
チーカたちのボインの波の中をたっぷり泳ぎたいな~!」
もちろん彼らみたいにペラペラはいかない。何度も間違えながら、やっと
話し終えた。ところが、これがけっこう受けちゃった。たいして面白くも
ないのに、バンなんか机を叩いて喜んでる。なんたってみんなこの手の話が
好きだからな~。 フーッ、一時はどうなるかと思った!
これまでもチーカの話かオカマの話をしてれば笑ってくれた、みんな単純
で明るくて気のいいやつら。かといって、いつまでもこの手を続けるわけ
にもいかない、なんとか次の方法を考えないと。だいいち毎日これじゃ体に
良くないもんな~!
でもそういえば、NHK時代からボクはオカマで通してきたんだっけ。
思い返せばなんてトボケた人生だったんダロー!
(これからまだまだつづきますよ~)
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