【起稿2026年1月21日記事】
さて、今から160年前の1866年の今日、京都の近衛家別邸「御花畑御屋敷」(薩摩小松帯刀邸、現京都市上京区森之木町462)において、坂本龍馬の立ち会いで、幕末の二大雄藩である薩摩と長州の間に軍事的盟約が結ばれました。
今までの通史では、この出来事を「薩長同盟成立」とし
、坂本龍馬の功績による「近代の夜明け」と評価されて来ました。
しかし、最近の研究により、「坂本龍馬が薩長同盟締結時の仲介役だった」という龍馬の役割は否定され、「1月18日段階で薩摩家老の小松帯刀を中心とする薩摩藩要人と長州藩を代表する木戸孝允との間で交わされた六箇条によって既に大筋は決まっていた」という事が分かってきました
また1月21日は、木戸が龍馬を証人とし、小松、西郷とその六箇条を確認し、後に書状に記して龍馬に確認を取りましたが、この六箇条は内容として「同盟」と称される程のレベルでは無く、在京薩摩藩士のトップであり、かつ島津久光の名代的存在である小松が、長州藩を代表して上京した木戸との間で交わした、「小松・木戸覚書」とするのが妥当であると評価されるようになりました。
もちろん、「西欧列強から国体(国土、国民、アイデンティティ)を護った。」「アジアで唯一近代化に成功して、世界的主要国に列した。」という肯定的評価はするべきでしょうが、私は大東亜戦争で国が滅びかけたり、自国の命運を他国に握られている一方で、激しい左翼運動に見舞われた戦後の情けない日本の姿の根源は、幕末の「倒幕尊皇攘夷」から明治維新の経緯にあったと思っています。
私が否定的である問題点は...
①「奇兵隊」や「海援隊」といった非正規兵の跋扈によるテロ行為や脅迫を正当化し、後に軍部の「昭和維新」に代表される「反対意見を封じ、暴力で打破しよう」という暴走を招いた。
②明治維新後、薩長閥の支配を許し、特に、長州閥は政、官、陸軍に長期に渡り
悪弊を及ぼした。
③急速な富国強兵を実現すべく、「廃藩置県」に代表される中央集権化と天皇陛下の権威(尊皇攘夷思想)を利用して、戦争遂行等に結束して大きな力を発揮出来るように、国民意識の統合を図った事により、全体主義的同調圧力が生じた。
④①~③による盲目的な戦争突入、壊滅的敗戦による国民の倫理規範の霧散。
⑤明治維新=文明開化、江戸幕府=未開という刷り込みにより、江戸時代の正当な評価がなされず、日本史の江戸時代以前と近代現代の間に断絶を生んだ。
...という点です。
さて、今から160年前の1866年の今日、京都の近衛家別邸「御花畑御屋敷」(薩摩小松帯刀邸、現京都市上京区森之木町462)において、坂本龍馬の立ち会いで、幕末の二大雄藩である薩摩と長州の間に軍事的盟約が結ばれました。

※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。
今までの通史では、この出来事を「薩長同盟成立」とし
、坂本龍馬の功績による「近代の夜明け」と評価されて来ました。
しかし、最近の研究により、「坂本龍馬が薩長同盟締結時の仲介役だった」という龍馬の役割は否定され、「1月18日段階で薩摩家老の小松帯刀を中心とする薩摩藩要人と長州藩を代表する木戸孝允との間で交わされた六箇条によって既に大筋は決まっていた」という事が分かってきました
また1月21日は、木戸が龍馬を証人とし、小松、西郷とその六箇条を確認し、後に書状に記して龍馬に確認を取りましたが、この六箇条は内容として「同盟」と称される程のレベルでは無く、在京薩摩藩士のトップであり、かつ島津久光の名代的存在である小松が、長州藩を代表して上京した木戸との間で交わした、「小松・木戸覚書」とするのが妥当であると評価されるようになりました。
歴史好きで、特に日本史は神代から現代史に至るまで関連書籍を読み、調べるのが趣味の私ですが、幕末や維新の偉人ファンの方々には申し訳無いのですが、実は明治維新はあまり評価していません。
もちろん、「西欧列強から国体(国土、国民、アイデンティティ)を護った。」「アジアで唯一近代化に成功して、世界的主要国に列した。」という肯定的評価はするべきでしょうが、私は大東亜戦争で国が滅びかけたり、自国の命運を他国に握られている一方で、激しい左翼運動に見舞われた戦後の情けない日本の姿の根源は、幕末の「倒幕尊皇攘夷」から明治維新の経緯にあったと思っています。
私が否定的である問題点は...
①「奇兵隊」や「海援隊」といった非正規兵の跋扈によるテロ行為や脅迫を正当化し、後に軍部の「昭和維新」に代表される「反対意見を封じ、暴力で打破しよう」という暴走を招いた。
②明治維新後、薩長閥の支配を許し、特に、長州閥は政、官、陸軍に長期に渡り
悪弊を及ぼした。
③急速な富国強兵を実現すべく、「廃藩置県」に代表される中央集権化と天皇陛下の権威(尊皇攘夷思想)を利用して、戦争遂行等に結束して大きな力を発揮出来るように、国民意識の統合を図った事により、全体主義的同調圧力が生じた。
④①~③による盲目的な戦争突入、壊滅的敗戦による国民の倫理規範の霧散。
⑤明治維新=文明開化、江戸幕府=未開という刷り込みにより、江戸時代の正当な評価がなされず、日本史の江戸時代以前と近代現代の間に断絶を生んだ。
...という点です。