知的余生の方法 

渡部昇一 著(新潮新書)

196ページから引用

 

こんな話しが伝わっている。

元総理大臣の宮澤喜一氏は、

人に会うと必ず「ご出身は?」

と聞いたという。

そして「東大です」というと相好をくずし、

次に「何学部ですか?」と聞く。

これで「東大法学部」となって、

初めて親しげに話すようになったのだという。

宮澤氏本人も東大法学部出身だったから、

学部は違っても東大ならまだしも、

他の大学出身者など

歯牙にもかけないということだったのだろう。

彼は「東大法学部」出身者以外は信じなかった、

といわれているくらいだ。

これなど学歴偏重の

典型的な例なのではなかろうか。

このような学歴偏重の秀才が、

では一体何をやったかというと、

官房長官の時に、日本の歴史教科書では、

近隣諸国の感情を

配慮するというような趣旨のことを

言ってしまった。

そして、実質的に日本の歴史教科書の検閲権を

北京とソウルにあずけるようなことをした。

自国の歴史観を外国に委ねるなどといった

馬鹿なことを平気でやるのが、

秀才やエリートといえるのだろうか。

 

また総理大臣の時は、

天皇・皇后両陛下の中国訪問を、

中国の要請にもとづいて実現させた。

中国人は「日本の天皇が朝貢に来た」

と受け取った。

中国が日本に居丈高(いたけだか)になったのは、

この時からだと私には見える。

宮澤氏が大蔵大臣だった頃に

バブルは巨大化したのだが、

それに歯止めをかける政策を

打ち出すことができず、

銀行が次々に潰(つぶ)れる事態を

招いてしまった。

 

このように東大法学部出身だからといって、

必ずしもいい政治をやれるとは限らない。

そういう意味では、学歴などというものは、

大して役に立つものではない、

ともいえるのだ。

政治の世界だけではなく、

戦後の日本の経済界においても、

東大卒で大きな事業を起こしたのは、

三人しかいないといわれているくらいだ。

しかし東大出身が

企業の社長になる率が高いのも事実だ。

これらを勘案すると、

人の上に立つことの難しさが見えてくる。

また学問や技術の面では、

入試の難しいと言われる大学の出身者に

秀れた人が断然多いことは言うまでもない。

佐藤一斎

「少ニシ学ベバ、則チ壮ニシテ為スアリ」だ。