内発の力
『安岡正篤 一日一言』 (致知出版社刊)
『安岡正篤 一日一言』 (致知出版社刊)
(引用させていただきます)
内発の力
思想とか信念とか信仰とかいうものは他から与えられたものでは駄目で、
個人の魂、個人の人格を通じて発してくるものでなければならない。
どんな立派な理論信仰でも、それが自分の中を通じてこなければ、
思想とか信念とか信仰とかいうものは他から与えられたものでは駄目で、
個人の魂、個人の人格を通じて発してくるものでなければならない。
どんな立派な理論信仰でも、それが自分の中を通じてこなければ、
決して生きた力にはならない。
日蓮という人が出れば、
日蓮を通じて法華経は新しく活かされ、あのような新宗教になる。
しかし法華経というものは新しいものでも何でもない。
親鸞にしても道元にしてもみなそうである。
何も別段新しいものを拾ったのではない。
国民の中から一人でも多く大覚者、志士、仁人が出て
しかし法華経というものは新しいものでも何でもない。
親鸞にしても道元にしてもみなそうである。
何も別段新しいものを拾ったのではない。
国民の中から一人でも多く大覚者、志士、仁人が出て
真剣にものを考え、行動することである。
そうすれば必ずやがてそれは大きな力になり、
組織になり、時勢を動かす。
それよりほかに道がないのである。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
そうすれば必ずやがてそれは大きな力になり、
組織になり、時勢を動かす。
それよりほかに道がないのである。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
(引用おわり)
思想や宗教は一方的に全面的に受け入れるのではなくて、
自分の人生経験なり読書経験なりを参考にして、
良いところのみ
受け入れるようにしたい。
100%正しい宗教など有り得ない。
100%善なる人間などいないと思います。
どんな人間にも間違いはあります。
ただ自分なりに判断して
善の割合が多い宗教を選択していきたい。
死ぬまで勉強です。魂の修養をしたい。
宗教のいいとこどりでも良いと思います。
他の宗教でも良いところは認める取り入れる。
やおよろず
民族の知恵です。