地ひらく
石原莞爾と昭和の夢       福田和也 著   (文春文庫)
 
12ページより引用
 
昭和の歴史を書こうと思う。
「昭和」の核心にかかわるものすべてを、自分のものとして抱き、感じ、味わいたい。
「聖戦」として合理化するのでもなく、
「侵略」として切りすてるのでもなく、
大きな失敗と遠い理想の全体を、直接に、
自分にかかわるものとして考えて、引き受けたいのだ。
それが、さしあたって私が、ここで「昭和」について書くことの目的である。
この物語では、一人の男の人生を通して、昭和と戦争の歴史をつづりたいと思う。
 
13ページより引用
 
その男の名前は石原莞爾と云う。
石原莞爾という名には、さまざまなイメージが錯綜する。
一方の評価として、満州事変をひきおこすことで、日本を戦争へと導いた、
戦争犯罪人の一人だとするものがある。
他方には、世界の趨勢にさきがけて、
軍備の放棄をよびかけた平和主義の先駆者だという見方もある。
二十倍にものぼる敵軍を壊滅させた天才的な戦略家である、とも云われ、
狡猾な陰謀家とも評されている。霊的な資質をもった予言者とよばれると同時に、
世界史の終焉を結論した精緻な理論家とも評されている。
近代文明のダイナミズムを信じた国家主義者であり、
コスミックな感性から都市文明の解体を宣言したユートピア主義者でもあった。
皇室を尊奉する帝国軍人であると同時に、
日本という国家を越える理想と正義のヴィジョンを持っていた。
 
14ページから引用
 
歴史とは何なのか。一言で云えば、持続の感覚である。
今、ここにある私たちが、長い過去の集積として今あり、
その過去から継受したものを未来へと伝えていく責任感、
というより祈りを醸成するもの。
いくつもの世代を貫く、苦労と徒労と堆積の中に自己があるという認識から、
今日、一日、一日を生きていくことの、手ごたえを得ること。
その手ごたえが把めた時に、過去は私たちにとっての現在になるだろう。
この物語は、知識や見通しとしての歴史ではなく、
今日の日々にうもれつつも息づいている、「過去」の感覚を取り戻す試みである。
 
(引用おわり)
 
地ひらく
石原莞爾と昭和の夢 
読みました。
いままで昭和史というのは、よくわからなかった。
著者の思想的立場によって、見解が180度も違うからです。
教科書でさえ、違う。何が真実か容易にはわからない。
福田和也氏の「地ひらく」を読んで、
石原莞爾という人物の生きた物語を通じて昭和史の流れを理解する助けになりました。