ペルーの12月8日アリアンサリマの悲劇の航空事故から25年・・ | America Tours E.I.R.L.

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真珠湾攻撃、ジョン・レノン暗殺・・
さまざまな形で記憶される12月8日。
ペルーでは人気No.1のサッカーチーム
アリアンサ・リマのレギュラーチームのほぼ全員が死亡するという
有名が航空事故、「アリアンサ・リマの悲劇」の日として記憶されています。

その年、優勝争いをしていた
アリアンサ・リマは1987年12月8日、プカルパというジャングルの町へ
海軍機をチャーターして出かけます。
1-0でデポルティボ・プカルパを降し、そのままリマヘ同じチャーター機でリマへ戻るチーム。しかし、夜8時5分、チャーター機はリマ空港から数キロの海に墜落します。
43名もの、レギュラー選手、監督、チーム関係者、それに全員死亡。
しかし、海軍人である機長だけがなぜか生存しました。
救出はすぐには行われず、翌朝になって始まりました。

ペルー代表選手も多く抱えたアリアンサ・チームの選手のうち残ったのは負傷で試合のために旅行しなかったファン・レイノソのみ。
この年の残り試合を二軍選手とチリのコロコロの選手で
戦わざるを得なかったチームは結局優勝を逃し、
再び力を回復してリーグ優勝するのは10年もたった1997年。
ペルー代表チームも大きく力を落としました。

この事件に関して、機長だけが生き残った・・、救出作業が遅れた・・
といった疑問点からいろいろな解釈が生まれました。

当時の腐敗した国政、麻薬組織、海軍の陰謀などがささやかれ始めました。

「海軍がジャングルのコカインをリマに運んでいて、それを知った選手たちが司法当局に訴えると脅したことから、海軍側が選手たちを殺害、飛行機ごと消してしまったのだ・・」

遺体が上がらなかったトマシーニ選手はに関ししては、
名門マルカム校在学中はには水泳選手でもあったことから、

「生きて飛行機を脱出、機長とともに泳いで岸に向かったが、機長が彼を殺害した。」

「トマシーニ選手は実は生存して岸にたどり着いたのだが、記憶喪失になり、リマの町を放浪している」

2006年に海軍の調査報告が明らかにされ、

「当時の飛行機に機械不良があった」
「機長に夜間飛行の経験が乏しかった」

ということが明らかになりました。


しかし、いろいろな憶測が生まれるのはその事件の不可解さ、
失われた人気チームの選手に対する愛着を示しているのでしょう、

いずれにせよ、あれから25年。
ラ・ビクトリアのマトゥテのアリアンサ・リマのサッカー場では事故で亡くなった選手たちを「殉教者」と呼び写真展が行われています。

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