ダンスで上手くなろうとするのをやめた | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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気の向くままのおしゃべりです。

最近、社交ダンスで上手くなろうとするのをやめました。

 


成長するのをやめたということではないのですが

 

 

上手くなるの定義と目的が

変わったので

ぞれまでの「上手くなる」をやめたって感じです。

 

 

(いつもにもまして長文です)

 

 

股関節の故障で

思うようにレッスンができないと

焦りがつのります。

 

 

お休み宣言をしてから

この夏で1年になります。

 

 

最初の半年は

少し回復すると

我慢できなくてレッスンし

悪化を2度ほど繰り返しました。

 

 

再発すると

その前よりも回復に

時間がかかるんですよ

 

 

と整骨院の先生も

残念そうに言ってました。

 

 

今、3回目の回復基調が

見えだして

これまでの回復期よりも

ずっと調子はいいものの

慎重に復帰の時期を見計らっています。

 

 

落ち着いてそれができるのも

上手くならねばという焦りから

自由になったから。

 

 

この期間

自分の踊りの感覚が衰え

筋力、体力も衰え

下手になって

遅れをとるような気がして

焦る気持ちが抑えられませんでした。

 

 

下手になって

遅れをとるって

 

 

完全に他人との比較の

考え方。

 

 

別に、期限もなければ

共通のゴールがあるわけでもない。

 

 

だから遅れなんて

本当は存在しないのに。

 

 

自分と同じぐらいのレベルや年数の

教室のメンバーといった

具体的な誰かと比べるだけでなく

 

 

普段みている

先生たちやトッププロの動画が

いつのまにか最終の理想形になって

自分の目標として刷り込まれ

 

 

あまりに理想に遠くて

自分の動画をみて

がっかりしたり

 

 

これもやっぱり

他人との比較。

 

 

他人との比較で

自分が上手かどうかを

測っているかぎり

どこかにずっと焦りがつきまとう。

 

 

そして人からの

評価に一喜一憂する。

 

 

思えば

故障する1~2年前から

発表会に出る理由が

わからなくなっていました。

 

 

たぶん外からの評価のために

人前で踊るということに

私の内側が

異をとなえだしていたのかも。

 

 

そのあたりから

発表したダンスを褒められても

どこか他人事に聞こえるというか

 

 

 

先生はひょっとすると

この人はどうしたら

人前で踊ることを

再び面白いと思うのだろうと

 

 

テンション上げようと

してくださるのか

 

 

自分のところに寄せられた

私へのほめ言葉なんかを

かき集めて伝えてくれたり

するのですが

 

 

傲慢な感じに

聞こえるかもしれませんが

そういうのが

ただの情報に聞こえて

「はあ、そうですか」ちゃんちゃん

と終ってしまう。

 

 

せっかくの先生の配慮も

あっさり流してしまう

かわいくない生徒。

 

 

ダンスで人前で踊ることに

意欲をもたなくなると

なんのために

上達したいのかの迷子になります。

 

 

そんな中、股関節の調子が悪化し

強制的に練習できなくなり

この比較レースから

外れざるを得なくなりました。

 

 

そのおかげで

「上手くならなければ」という

追い込まれるような焦りから

自由になることができたなと

今は感じています。

 

 

今も上達はしたいし

上達していくことに意欲的です。

 

 

上達すれば

できることが増えて

踊ることそのものの楽しさが倍増していきます。

 

 

人前で踊ることの

新しい意義もみえてきました。

 

 

内容はここでは書きませんが

自分の本質と一致したものです。

 

 

そして

より深く自分とつながるために

上達していきたい。

 

 

そういう思いになったら

焦る気持ちがなくなりました。

 

 

上手くなりたい、

も消えました。

 

 

上達と上手くなる

これは私の中で

別物だったんですね。

 

 

上達は自分だけで判断が完結する

上手いというのは比較が混じる

 

 

上手くなることに

こだわるのは

もういらないなって思います。