わたしの地雷 | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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社交ダンスについて興味のままにあれこれ書いてます

アメリカンスタイルを中心に
競技、選手やドレス
レッスン、身体のケアなど
気の向くままのおしゃべりです。

人は本当に

いろいろ違う。

 

 

こんなこと気にする?

という人もいれば

ぜったいに許せない!

と感じる人もいる。

 

 

今日のブログ

前半はぐちっぽいんだけど

言いたいことは

そこじゃないの。

 

 

むしろ逆のことなので

心のあり方の気づきなんかに

興味のある方に

読んでいただけると嬉しいです。

 

 

この前、教室で

来日中の海外コーチによる

ワークショップがあって

これが進行がグダグダすぎて

わたしは最悪な気分になった。

 

 

コーチングの内容は

とても高度だったし

ちゃんと進行されていたら

すごく楽しめたと思う。

 

 

でも

海外コーチのやり方が

いつものこの教室の

やり方と全然違うため

 

 

女性の数が圧倒的に多い

この教室では

待つ順番にはまった人は

延々と待たされてしまい

運のいい順番にあたった人は

わりとスムースに

踊れるという不公平が

発生していた。

 

 

まず組んで踊る

説明が入る。

ではそれを踏まえて実践を

同じパートナーと。

今度は同じことを音楽をかけて

また同じパートナーと。

 

 

この間、待ちの順番に

入った人はずっと立ってみている。

 

 

アルタンで高度なことを

していたので

シャドーで練習もままならない。

 

 

やっと順番来たと思ったら

今度はさらっと

音楽で一回だけ。

 

 

また待ちの順番へ。

 

 

そして今度はそこで

新しいステップが加わる。

 

 

いつのまにか

待ちスポットが

2つ重なってしまった

箇所もあって

 

 

そういうところでは

さっきの

ずっと立って待っているが

2回続くうえ

一度も踊って確認できないまま

新しいステップが増えていく。

 

 

これは

教えている海外コーチは

気づけない。

 

 

一生懸命教えてくれているし

そもそも

男女比が近かったり

少人数でしている教室が

あたりまえだったりしたら

考えもしないだろう。

 

 

サポートで入っている

教室のスタッフが

いつもの団体のときのように

気を配るだけで

分かることなのに

 

 

スタッフの先生たちも

なんだか生徒の一人みたいに

なっちゃって

目の前のことしか見えていない。

 

 

カウンターで事務をしていた

先生に訴えたけれど

それを海外コーチや

サポートに入っている

教室の先生に言うこともなく

 

 

このまま我慢するか

別のところに

順番飛ばして

入るよう言ってくる。

 

 

こういう状況に

頭に来ている生徒は

他にもいて

 

 

一方で

ニコニコ楽しそうだった

生徒もいる。

 

 

わたしはワークショップ終わって

すぐに

通訳していた先生に

ひどいワークショップだった

とこのままの言葉で言いに行った。

 

 

だって先生たち

参加している生徒の様子

全く見ていないんだもん。

 

 

言わないと気づかない。

 

 

これまでの海外コーチの

ワークショップでも

言葉どころか

文化だって違う

やり方も違うコーチに

進行からなにから丸投げで

 

 

生徒たちがとまどったり

時間が無駄にすぎたり

することがあったから

 

 

繰り返されるということは

問題があると思っていない。

 

 

このワークショップの日は

本当に頭に来ちゃっていた。

 

 

で、そのことを書きたいんじゃなくて

(前置き長すぎ)

 

 

冒頭のこういうことが

気になる人と

地雷になっちゃう人がいるって

話で。

 

 

ここからが本題よ。
長くてゴメン。

 

 

なんで地雷になるかというと

わたしの中で

自分は運が悪いとか

不公平に扱われる女とか

そういう決めつけがあるから。

 

 

だからそれを証明するような

出来事があると

こんなに怒るかというほど

頭にくる。

 

 

(今回のことは

わたしと同じ順番だった人は

だいたい頭に来るとは思うけど)

 

 

たとえば

先生がレッスン時間を

まちがえて

前の人のレッスンが終わらないとか。

 

 

この1年で教室に入った

生徒さんが

ダンスを披露するパーティーで

わたしは最初の年

出ましょうと言われていたのに

急になぜか権利がないと言われ

ゲストまでよんでいたのに

出られなかったこととか。

 

 

こういう出来事に

深ーく傷つくし

何日も眠れないほどに怒りを感じる。

 

 

でも

自分は運が悪いとか

不公平に扱われるなんて

思っていない人は

 

 

そういうこともあるよね、

って言うし

 

 

不公平に扱われた証拠より

むしろ大切に扱われた

証拠を集めるのが上手。

 

 

ずいぶん

自分の中の思い込みを

外してきた自覚はあるけれど

 

 

今回のことで

やっぱりまだ

地雷はあるんだなあ

自分は運が悪い

不公平に扱われる女

 

 

っていうレッテルを

自分に貼っているんだな

とわかる。

 

 

こういう問題に

気づく才能でもあるんだけど

才能を傷つかずに

使えるようになれたら

なによりなわけで。

 

 

ダンスはやっぱり

人生のあらゆることの

気づきがつまっている。

 

 

こういう

思い込みを手放し

させられるような

痛い面も含め

 

 

惹かれるものであるのは

間違いないのよね。