こちらもあるサイトからの抜粋です。落ちこんだときに元気がでるかもね。
前回でも触れたように、私は「思いやり」に、とても敏感な人でした。
「思いやり至上主義」だったと言ってもいいでしょう。
大切なことの優先順位の一番が、「思いやり」だったのです。
だから「思いやり」よりも、「こだわりやプライド」を優先する人が信じられませんでした。
ただし…私がいつも相手に対して思いやりを持てていたかというと、
…全くそうではなかったと思います。
また、どんな行動をもって「思いやり」と思うのかは、
人によって全然違うのだということも、解っていませんでした。
ところで、人が相手を拒絶する時、NOと言う時には、
いろいろなパターンがありますよね。
相手に事情があって断る場合や、
もうこちらに熱意や愛情がもてなくなった場合は、
相手の言葉から、「悪いとは思うけれど…」という
思いやりのニュアンスが感じられます。
この場合は、私なら「仕方ないけど…OK」だと思うのです。
けれど「こだわりやプライド」を優先する人からは、
そういうニュアンスはあまりなく、急にそっけなくされたりします。
つまり、その人達は一般的に、相手への思いやりを表現することよりも
自分のこだわりを大切にしていることが多いのです。
(例外もあります)
でも、これは安易に責めるべきことではない気がします。
前回も書いたように、その背景には双方の複雑な過去があるからです。
また、思いやりを示してもらえなかったのは、
こちらの責任であることも、十分に考えられます。
一方的に責める前に、自分の言動に原因がなかったかを、
振り返る必要があると思います。
(相手の事情や予定を、きちんと把握していなかったり、
誠実に丁寧に対応していなかった…など)
また、よく考えると私は「思いやりが何よりも大切」という
「こだわり」をもっていたのです。
だから人の「こだわり」を、間違っていると否定するのは、変なお話ですよね。
確かに人間的には、思いやりを一番にする人のほうが素敵だと思います。
ただ、それは価値観や優先順位の違いですよね。
またどんな人でも、常に思いやりを一番に持ってくるのは至難の技です。
私は、どんな人生も支配や強制ではなく、
自由意志で選ぶことに、意味があると思っています。
人はみんな、自由に生きていいのです。
ただし先ほどの原因のように、
「自分がしたことと、しなかったこと」の責任(結果)は、
やがて自然に…自分で負うことになります。
「自分が苦しい時に、助けてもらえない。
嬉しいことも分かち合えない」という結果です…。
良い悪いという意味づけよりも、人生には
シンプルな「原因と結果」があるのだと思います。
人間関係では、誠実にやるべきことをやっていなかった場合、
大抵双方が、この結果を負うことになります。
これを繰り返していると、自分の力を信じられなくなっていきます。
自信を失ってしまうのです。
誠実さは、自分の自信を守るためにもあるのです。
私を含め、これを解決するには、
人に指図や強制されることなく、
「自分の自由意思で、自分の行動を見直す」という
素直で謙虚な気持ちが、必要になってくると思うのです。
どんなことも罪悪感や義務感で動くのではなく、
自分でしたいから、そうするのでなければ意味がないのです。
これが結果的に、人に依存するのではない
「自分で自分を助ける方法」になるのかもしれません。
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少しお話がそれますが…「こだわり」に関連して、
以前にあった私の体験から、ひとつ書きたいことがあります。
このお話は、みなさんに「私の考え方と在り方」を
ひとつの参考にしていただきたいと思うものであり、
私信や自己弁護を目的としたメッセージではありませんので、
どうぞ、ご理解ください。
いやな人は、読み飛ばしちゃってください。
(登場人物も、お友達や身近な人とは関係ありません)
みなさんもお気づきのように私の言葉は、
説明が多く、とてもくどいです。
それは過去に、説明責任を果たさず、相手を不安にさせたり、
たびたび誤解とトラブルが発生したことを、教訓としているからです。
今では、「できるだけ誤解を避け、正確な意味を伝えたい」という
大きな目的のために、「意識的に」そうしているのです。
それでも、まれに、…苦しさのあまり
ネガティブな感情でいっぱいになっている人からは、
…私の言葉の意味を、決めつけられてしまう事があります。
…「あなたのその言葉は、自分に有利に持っていくための心理操作でしょう?
隠そうとしても分かるのよ。 私の何を利用したいの?」というふうに…。
(ご存知だと思いますが、心理操作というのは、
下心をもって褒めたり、遠まわしに脅したり同情を誘うなどして、
相手を思い通りに操ることを言います)
本当に素直な気持ちで、褒めても励ましても、
それは下心があるようにしか思われず、
こちらの現状や気持ちという「事実」を伝えただけでも、
「遠まわしに私を責めるんだ。私のせいだと言いたいのね?」と、
びっくりするくらい、曲解されてしまう…。
こんなふうに人が何を言っても、つい裏の意味を読み取ろうとしてしまうのです。
それはきっと過去に、とてもいやな思いをしているので、
つい、そうなってしまうのですよね…。
ただ人を信じない人は、これが普通のことになっているので、
自分では、ほとんど気づかないものなのです。
だから、誰といても人間関係に、きしみが出てしまうのです。
人の言うことが、当てつけや、遠まわしな嫌味に思えたり、
偉そうに指図され、バカにされている気がするという人。
または、頻繁にプレッシャーをかけられているように感じたり、
何かを見抜いた気持ちになる人は、
…ちょっぴり用心が必要かもしれません。
どんな言葉も、疑いのフィルターをかけて見れば、
「ありがとう」さえも、偽善の言葉に変わってしまいます。
誰に対しても、うがった見方しかできなくなった苦しむ人に…
真実を伝えることの難しさを、感じています。
もちろん私の表現が未熟だから、問題が起こるのですが。
私がどんなに、「ウソは、ついていない」と言っても
このコラムのように、言えば言うほど相手の人には、
「それ自体がウソなんだ。力説しているのが怪しい」と思えるのでしょう…。
でも、たとえ冤罪でも、
「私の真実は私だけが知っていれば、それでいい」と
思うことがあります。
それは胸を張って立っている、
凛とした自分が、心の中にいるからです。
私も、ついうがった見方をして決めつけてしまう事は、あります。
でも、そんな気持ちを持ち続けたまま、
良い人間関係が保てたことは、一度もないと思います。
私は、解ってくれない人を、押さえつけるようにして解らせることは
その人の、「人としての尊厳と自由」を奪うことだと思っています。
だから私を完璧なほどに理解してもらわなくても、…もういいのです。
たとえ真実が証明できなくても。
私は私の真実を、純粋な目で、まっすぐに見ようとしてくれる人と
共に歩みたいと思っています。
…ただし、入り口にある「見えない扉」が、閉ざされることもないと思います。
私を信じて、見ようとする人には見える扉です。
私もまた、人を信じる、少女のような輝く瞳をもつ人で
ありたいと思っています。
疑いの目で見てしまう人にも、おそらく過去のつらい経験から来る、
譲れない「こだわり」があるのでしょう。
「こだわり」は自分を支える、大切なものです。
ただ、こだわりすぎると必ずと言っていいほど、トラブルが発生すると思います。
私の「完璧主義、思いやり至上主義」がそうであるように。
自分のこだわりが何なのか、はっきりさせておくことが大切です。
そしてそれに、こだわりすぎて、自分が苦しむ結果になっていないか、
きちんと分析しておかないといけないと思うのです。
私も、自分のこだわりや正しさに「こだわる」よりも、
みんなと平和に優しい気持ちで過ごすことのほうを選びたい…と
思うようになりました。
「正しさ」を主張しすぎたり、頑固に意地を張ってしまっても、
誰一人として、穏やかであったかい、
ふんわりした気持ちにはなれないのでした…。
誰しもが、「ほんとは仲良くしたい」そう思っているはずなのに。
**********
あっ…お話がそれてしまったので、戻しましょうね。
「完璧主義と思いやり」についてでしたね。
えっと…
完璧主義の人が傷つくとき…
それは相手を、「いつもいつも、思いやりをもって行動できる人」
だと思い込んでいるところに、問題があるのです。
少なくとも私はそうでした…。
気がついていませんでしたが。
でも、自分のことに置き換えた時、それがいかに
無茶苦茶な要求であったかが解ったのです。
「私は、いつもいつも礼儀正しく、思いやりをもって行動できているだろうか?」
「人の要望に、NOと言ったことは一度もないだろうか?」
「傷つけると解っていても、断らざるをえなかった時は、一度もなかっただろうか?」
答えは…NOでした。
体調が悪かった時、他の問題で悩んでいた時、
何かに夢中になっていた時…。
いつもいつも思いやりをもって行動できていたとは、
とてもとても、恥ずかしくて言えません。
「私は人を傷つけたことは一度もない」と胸を張って言える人は、
これからも人に対して、「完璧な優しさ」を求めても構いません。
そして、これから先の長い人生でも、「絶対に人に、ひどいことはしない」、
「思いやりを忘れることは一生ない」と想像できる人は、
人が優しくしてくれないことを責めてもいいと思います。
さて、あなたは完璧主義でしょうか…?
それとも思いやり至上主義でしょうか?
今までで深く傷ついた時、怒った時、
相手に「完璧な優しさ」を期待していませんでしたか…?
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★【減点法をやめよう!】
これから書くことは、すでに体験的に知っていて
実践しているという方も、たくさんいらっしゃると思いますが、
参考までに読んでみてくださいね☆
たとえるなら完璧主義の人は、自分がテストでは80点だったのに
人には100点を取ることを求めてしまう人なのです。
自分が相手を傷つけていることは、記憶から排除しても
相手が一度でも、こちらを傷つけるようなことをすると、
なかなか許すことができません。
完璧主義の人は、言い換えると、「減点法をする人」なのです。
減点法というのは、とにかく不毛なものです。
それは、先ほども書いたように
「いつもいつも100点を取ることを望んでいる」からです
減点法なので、誰と仲良くなっても、
1回でも「冷たい態度」や「非常識な行動」と
思えるようなことをされたら、ほとんどそこで終わりです。
「この人も、やっぱりだめだった」と言って…。
仮に1、2度は許せても3度目は…ないでしょう。
だから相手がどんな人でも、人間関係が長続きしないのです。
でも人の失敗というのは基本的に、ずっと続くものです。
前回も書きましたが人は同じような失敗をするのが、当たり前だからです。
減点法を使っている限り…残念ながら一生幸せにはなれないでしょう。
それは自分に対しても、いつも減点法を使って
「また今日も、うまくいかなかった」と思うからです。
人が優しくないと…いつもがっかりしているからです。
うまくいかなかったことばかりに注目していたら、
どんなに頑張っていても、やる気も自信も育つことはないでしょう。
また、相手のあげ足を取るクセがつくと、
相手が本来持っている、「大きな優しさ」と触れ合うことができなくなるのです。
私達は、小さい頃から学校でテストを受けて育ったため、
加点法で、物事を見られる人は、とても少ないのです。
テストで仮に80点を取っても、「20点失敗していなければ…」と、常に減点法です。
80点を取ったことは、自分でも認めないのです。
でも本当は、0点を基準にすれば、80点も取れているのですよね。
だから人に対しても、「あの人は今日、20点失敗した」と思うのではなくて
「確かに失敗したけれど、それでも80点も取れている」というように
考えるクセをつけてほしいのです。
これが仮に、30点でもいいのです。
全く何にもないのではなく、30点もあると思えると
人間関係は、とてもスムーズに運ぶようになります。
相手が、できないことに文句を言うのではなく、
できていること、過去にしてくれたことに感謝するのです。
「減点法」から「加点法」に切り換えるのです。
時々声をかけてくれること、見守ってくれること、
そばにいてくれること、お世話をしてくれること…。
人がしてくれることで、当たり前のことなんて、どこにもないのです。
これは、そばにいる家族を思い出すと、良い例になるかもしれません。
(一人暮らしの方、海外にお住まいの方は、お世話になっている方で)
私のことでもありますが、今自分の身近にいる人がしてくれていること、
過去にしてくれたことを、真剣に考えたことがある人は、
どのくらいいるでしょうか…?
もしもその人が、明日ふっ…と何処かへ消えてしまったとしても、
みなさんは、全く困らないでしょうか…?
伝えておきたかったことは、何もないでしょうか?
私の周りにも、さりげなく時に力強く、支えてくれる人達がいます。
…いつも、ありがとう☆
それでも、
「う~ん そんなこと言われても、言うは易し行うは難しだから…」という人は、
これからご紹介する方法で、自分自身にも、加点法を使ってみてくださいね。
以前、うちの常連さんでも、
「自分の行動を自分で評価していく」という方法を
考えて実践されている方がいましたが、
たぶん基本的には同じだと思います。(ご報告ありがとうございました)
その方も効果があったとおっしゃっていたので、
結構効くのではないかと思います。
これから説明する加点法は、特に夜寝る前が、おすすめです。
ちなみに私がご紹介する方法では、なるべく小さなこと、
人から見ると、「やって当たり前なこと」に焦点を当てて、
自分を褒めてあげてほしいのです。
これには理由があります。
人が褒めてくれるような大きなことでは、あまり意味がないのです。
それは、心の中で人と比較するクセを強調してしまうからです。
誰かと比べて、立派だから褒めるという方法は、
なるべくしないほうがいいのです。
それよりも、1ヶ月前の自分より良くなったと思うところや、
本当に、ささやかなことがいいのです。
では、具体的な褒め方を書いてみますね。
以下は私の一日ではありませんが、参考にしてみてくださいね。
特に終わりの承認する言葉が大事なのです。
「えっと…今日は何をしたかなぁ…?」と考えて、
そうそう、
「TVや新聞で必要な情報を集めた…よしよし」
「休んでいた塾に行った…えらいえらい」
「本を読んだ…うんうん少し賢くなったかも」
「子供をぎゅっと抱きしめた…よしよし」
「綺麗にお掃除をした…おつかれさま」
「自分のどこが悪かったのかに気づいた…頑張ったね」
「掲示板にカキコした…勇気出したね」
「予定をきちんとやり終えた…おつかれさま」
「体を休めるために、のんびりした…OKOK」
「昔のことを振り返って反省した…うんうん頑張ったね」
最後に、「今日もいろんな事したなぁ☆ よしよし、お疲れさま」 で終了です。
この、人からは「やって当たり前」と思われる小さなことに
焦点を当てて、自分を褒めることで、
人から何かをしてもらった時に、それが小さなことであっても
ありがたいと思えるようになるのです。
義務感から感謝するのではなく、素直な心で「ありがとう」と思えるのです。
私も本格的に始めたのは、わりと最近ですが、
実際にやってみると、「私って意外といろんなことしてたのね…」と
自分のことを、少し認められるようになった気がします。
また人がしてくれていたことにも、以前より深く感謝できるようになったと思います。
みなさんも慣れてきたら、次は「今日、人がしてくれたこと」に変えて
褒めてみてくださいね。
この「自分で自分を褒める方法」が最終的には
「自分を好きになること」、「自信」、「人を尊重する気持ち」に
繋がるのだと思いました。
人と比べて、勝った負けたという方法は、
大抵、他人からの評価が基準になるため流動的で、
本物の自信を育てることには、ならないのです。
やはり小さなことを粗末にする人には、大きなこともできない気がします。
「今、自分にできること」から始め、
自分の足で階段を、ひとつひとつ上っていきたいと思います。
なお、「自分で自分を褒めるのは、どうもピンと来ない」という人は、
好きなアーティストや、アニメのキャラクタなどを想像して、
褒めてもらうのもいいと思います☆
視覚的な癒し効果も兼ねるので、疲れている人には特におすすめです。
それでも完璧主義が直らず、人の思いやりのない行動やマナー違反が
どうしても許せないという人がいたら
今日からあなたが人をがっかりさせたり、問題を起こさないようにして
3ヶ月だけ、過ごしてみてくださいね。
(だからといって人と交流を持たなかったり、話さないのは意味がありませんが)
そして3ヵ月後にもう一度、このコラムを読んでみてくださいね。
果たしてあなたは、何の問題もなく過ごせたでしょうか…?
誰にも不愉快な思いをさせなかったと言いきれるでしょうか…?
そう…あなたが人に望んでいたことが、
どんなに無謀なことだったかが解るはずです。
なお、これは何でも許せばいいという意味ではなく、
許せなくて苦しんでいる人のための方法です。
今日からみなさんも、「減点法」から「加点法」に切り替えてみませんか?
それだけで、落ち込む回数が減ることを、少しだけお約束しますよ♪
またできるだけ毎日、「自分で自分を褒める」ことができれば、
人を批判する気持ちも、やわらいでいきます。
その平和な気持ちから、自分の手で未来を創り上げていく勇気と、
やる気が生まれるのではないかと思います。
長くいろいろと書いてきましたが、私の考え方や私自身に、
なんだか違和感を感じるという人は、
決して無理をしないでくださいね。
人は誰でも、何度でも…拒絶する自由があるのですから。
人の言いなりにならず、自分の意思で考えること、
それは、とても大切なことだと思います。
住む場所や考え方が違っても、それぞれの活動域で、共に頑張り、
それぞれの二度とない時を、力強く前に進んでいけたら、
私は、それだけで素敵だと思うのです。
安心感のある、柔らかい温もりのような人との繋がり…
それは手を伸ばせば、いつもそばにあるのに、
今は、ちょっと見えなくなっているだけ…なのかもしれない。
…たとえ今は、暗闇で独り立ち尽くしているように思えても。
…人を信じられない震える自分ではなく、
緊張しきった毎日でもなく…
爽やかで堂々とした自分と一緒に、歩くことができたら…
もう怖いものはないはず。
いえ…私も含めて、変わりたいと思う人なら、きっとできるよね…☆
そして気がついたら…
完璧でなくてもいい、失敗しても許される
穏やかな人間関係が、そばにあるのではないでしょうか。
さて、みなさんは今、
これからどんな人になっていきたいと思っていますか…?