こんにちは。渋谷系おじさんこと東森です。
最近、ニワカ的に渋谷系アゲする人が増えている印象があったんです。
なので、距離をとったり去る人が増えるのは全然良いと思っています。
どーぞCDなんか捨てちゃってください!。でも、捨てるくらいなら私にください!。
■炎上前までの私の認識
私は小山田圭吾のイジメ・インタビュー記事を知っていました。クイック・ジャパンは全く知りませんし読んだこと無いですが、ロッキング・オン・ジャパンはリアルタイムで購入してインタビューを読んでいました。
確かに最初、読んだ時はギョッとしたことを憶えています。そのギョッとした理由が
①イジメの内容があまりにも酷かったこと
②そのイジメの内容をインタビュアーも含めて笑いながら楽しそうに喋ってること
③その酷い発言が普通に雑誌に掲載されていたこと
でした。
90年代には鬼畜ブームがあったとかいうニュースを見ましたが、私には記憶がありません。だから、イジメを肯定的に語ってるインタビュー記事には、ただただ驚かされました。普通に考えたらあり得ない、あまりにも常識から外れている記事だったことに間違いはありません。私には全く理解できませんでした。
でも当時、理解できないなりに記事を読んで、色々と考えたんです。
その時の私の結論が「これはブラック・ジョークではないか?」でした。
普通に考えればあり得ない内容の記事なのに、インタビュアーも小山田圭吾もお互い笑いながらふざけて喋っていて、変な話、とてもシュールに見えました。それで、あーこれはきっと本人たちは悪い冗談のつもりで喋っているんだろう・・・という結論に至ってました。
2万字もあるインタビュー記事の中でイジメに関する記事は200~300字くらい(?)と、とても少なくて、ついノリで喋っちゃった・・・風に見えたということもあります。なので、この記事で語られるイジメは、質の悪いブラック・ジョークである、と自分の中では決着がついていました。
■当時のフリッパーズ・ギターの立ち位置
これはリアル・タイムでフリッパーズ・ギターを知らない人にはなかなか伝わらないかも知れません。
というのも、当時のフリッパーズ・ギターの二人の立ち位置は、「ケンカに弱そうな軟派なバンド」という印象が一般的でした。フリッパーズ・ギターのデビューが1989年でバンド・ブームの最盛期です。周りはケンカに強そうなロック・ミュージシャンばかりで、その中でか細く見えるフリッパーズ・ギターは、ケンカが弱そう!なんて茶々を入れられることが多かったです。
私は未見ですが、フリッパーズ・ギターのデビュー前のインタビュー記事は全く普通だったそうです。普通の青年たちの受け答えに見えたという記事を読んだ覚えがあって、それがデビュー後から口の悪い生意気キャラに変貌していきます。インタビューの最中に別のバンドをバカにしたり悪口言ったり、また、気に入らないインタビュアーの女性を泣かせたり、と。そのような話を聞いていました。
これらは全て、「ケンカが弱そう」という印象に反発するフリッパーズ・ギターの強がりだと思っていました。力勝負では勝てないから知的というか、自分たちの負けないフィールドで精いっぱいイキって舐められないようにする、みたいな。
ロッキング・オン・ジャパンのイジメ記事も、その前にインタビュアーが「ケンカ弱そうじゃん」という茶々を入れたことから始まっているように見えます。だからまぁ、普通はあり得ないんですけど、「ケンカ弱そう」というワードに敏感に反応して、小山田圭吾はイジメ自慢で自分を大きく見せようとしたんじゃないか?、と思ったんです。これ、全然知的じゃないですけど(笑)。
でも、「ケンカ弱そう」と言われることが嫌で、コンプレックスになっていたということも考えられて、であれば、このような反応もあるかも・・・と思っていました。
■謝罪文掲載に心底驚いた
私は小山田圭吾のイジメ発言がブラック・ジョークだと信じていましたから、イジメ発言を叩いている人たちを鼻で笑っていたんです。小山田圭吾側から「イジメ発言はジョークであって事実ではありません」と言われたら、この人達どうすんの?、みたいに。
それが、謝罪文です。心底驚きました。
本当にイジメやってたの?、あの雑誌の内容がまさか全部本当だったの?、と。もう訳が分からなくなってきました。全く頭の整理がつきません。私の脳みそはオーバーフロウを起こしていました。
でも、まだあの凄惨なイジメが全部本当だとも思えないんです。
謝罪文が出るくらいなのでイジメは行っていたのは間違いないでしょう。しかし、排泄物とか自慰行為とかはあまりにもむごくて、そんなことをする人間がそうそう世の中にいるとも思えません。まさか小山田圭吾がそのレア・ケースに該当するような人物にも思えないんです。
このイジメ発言がブラック・ジョークだと信じた理由のひとつに、排泄物と自慰行為の件がありました。イキッてイジメ自慢する時に架空の話をでっちあげるとしたら、如何にも言いそうなワードに聞こえたからです。イジメを自覚して本当にそんなことをやっていたら、普通、雑誌のインタビューでは言わないですよね?。全国に流通する雑誌ですよ。もう、その時点で色々とおかしすぎるんです。
私、そこまで小山田圭吾が馬鹿(?)とは思えないんですよね・・・。未熟であったことは間違いないと思いますが。
■雑誌の内容は本当に正しいのか?
現在のマスコミはマスゴミと揶揄されるほどに信頼を失っています。新聞やTV番組では印象操作やフェーク・ニュースが普通に流通しているなんて噂まであります。私も今では新聞に書いてある内容をそのまま鵜呑みにすることはなくなりました。
だったら25年前の雑誌ですから、印象操作が当たり前に行われていた可能性はないのでしょうか?。しかもマイナーな音楽雑誌やサブ・カル雑誌です。可能性を頭から否定できるとも思えません。
ロッキング・オン・ジャパンでイジメ・インタビューをした編集者も相当に酷いです。「ケンカ弱そうじゃん」と煽ったあと、小山田圭吾自身のイジメに話題を振ったのはそのインタビュアーだし、明らかに小山田圭吾にイジメ・ネタを喋らせてインタビューで取りあげたいという思惑が見えてきます。これ話題にすれば記事が盛り上がる、的な?。
インタビュー側の人間がイジメの酷さに無自覚で雑誌編集をしているのであれば、何があってもおかしくない気がします。それこそ編集段階で記事を盛り上げる為の印象操作や記事自体を盛る、ことがあっても不思議ではない気がするのです。
クイック・ジャパンは記事のタイトルが『イジメ紀行』なんていう悪趣味なものです。それこそ編集の意図を考えれば、誇張や印象操作が行われてもおかしくいない気がします。例えば、喋ってもいない事を付け足されたり、笑ってもないのにカッコ笑いを付けられたり。そういう疑念がどうしても頭に浮かんでくるのです。小山田圭吾自身もツイッター上で「言ってないことを書かれた」と言ってます。
もちろん、だからと言って小山田圭吾のイジメの事実が消える訳ではないです。でも、こういうナイーブな問題は印象によって受ける感じが大きく異なりますから、本当はどうだったのか?という、エビデンスを気にすることはおかしくないと思います。これは私の我儘でもエゴでもないはずです。
■これから先の事
結局、小山田圭吾はオリンピックを辞退しました。まあ、私はオリンピックに無関心な人間なので、あーそうなのと思っただけですが、気になるのは小山田圭吾の将来です。
もしも、もしもです。インタビュー記事のイジメが全て事実だったとしたら、さすがにキツイです。キツイですけど、でも彼は音楽の才能に溢れている人なので、その将来の可能性を詰むことはしたくないと思うんです。変に腐らず音楽を続けてほしいと願います。もちろん、これはイジメ問題の反省ありき、ですが。
まずは、心から反省してイジメ被害者の方には謝罪してほしいと思います。簡単には許されないかも知れませんし、もしかすると一生許されないかも知れません。でも時間を戻す事はできないので、できる事は謝罪しかありません。人生を悔やむくらいなら前向きにイジメ被害者に寄り添い、心からの謝罪を行ってほしいです。
あと、これからは社会からの見方も変わります。
出来ればこれからは、一生涯音楽活動と並行してイジメ撲滅の活動などに参加されたらどうでしょうか?、と思ったりします。小山田圭吾のイジメは30数年前の出来事で、なにをしても、どんなにがんばってもイジメの事実が覆るわけではありません。でも今現在起きているイジメは止めることができます。どのくらい貢献できるか分かりませんが、たったひとつでもいい。今現在行われているイジメを止めることができれば社会貢献という意味でも、イジメ加害者であった小山田圭吾の存在に意味が見出せます。
気になるのが、精神的に追い込まれて大変な事にならなければいいけど・・・ということです。
私がツイッターをしないのはツイッターには見切り付けてるからなんですけど、ツイッター・ランドの民度を見ていると本当に嫌になることが多いです。ネット自体がそんなもんと言われればそうなんですけど、でも、ツイッターは思考力を奪いますから。私は絶対にツイッター・ランドの住人にはならないと心に決めています。
まずはインタビュー記事の検証をしてほしいと思います。最初に検証ありき、なはずなんですけど誰も言わないのが不思議で仕方ないです。それとも、もう時間が経ちすぎで難しいのでしょうか?。
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久しぶりに世界が変わった、という状態を目撃した気分です。14日以前と14日以降ではもはや別世界です。本当にスゴイですよね。
『ヘッド博士の世界塔』の30周年記念もお通や状態に(笑)。まぁ、あれは元々騒ぎ過ぎだったんですけど。傍から見ていても躁状態過ぎてちょっと引くところがありました。って、前回記事で私も乗ってしまいましたが(汗)。
作品と人格は別というのは私の根本の価値観のひとつでもあります。この人がこうだから作品は見ない!とか、作品はクソ!とか言っちゃう人をネットでよく見ますけど、それって結局その程度の人生経験しかないんだろうなぁ、と割と憐れむ感じで見てしまいます。インタビュー記事が全て正しければ本当に酷い話なので、気持ちは分からないではないですが、でも、感情の上に理性を持ちたいじゃないですか?。感情だけを振り回す人間にはなりたくない、という意志の方がどうしても強くはたらきます。
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2021年になって、新聞やTVで『フリッパーズ・ギター』や小山田圭吾という名前をこんなに見ることになるとは思ってもいませんでした。ハッキリ言ってケチが付いた状態ですけど、これまでにポップ・ミュージック界で築いてきた功績はそんなヤワなものではありませんから、離れる人は離れて全然平気のような気がします。
しつこいようですが、最近の渋谷系アゲの風潮ってイヤだったんです。論文(?)みたいなものもネットで目にしたんですけど、渋谷系ってそんな大層なものじゃないですから。これは渋谷系だ!これは渋谷系じゃない!とかも全く無意味なんです。私も便宜上使ってるだけで、そんな事はどーでもいいっていうか。そもそも、そういう事言ってる時点で渋谷系を分かってない気がします。
なので、ここら辺で一旦リセットされるのも致し方なしかな・・・と。個人的には思ったり。スイマセン、上から目線で語っているようで(汗)。
(終わり)