ちょっと毛色の変わったタワーレコードでした。

 

日本全国見渡しても、このようなタワーレコードは珍しかったのではないか、と思います。

 

■80年代中頃の九州のレコード店事情

 

80年代初め頃まで、レコード店と言えば個人経営の街の小さなレコード店の事を指していました。

 

主力は歌謡曲で、他には演歌やクラシックなど。ロックを扱っていても全てが国内盤です。もちろん所謂メジャーどころばかり、でした。

 

輸入盤専門店も少なからずありましたが、大体が狭い店舗経営でした。それなりに在庫を揃えたお店も中にはありましたが、本当に少数でした。70年代末頃に北九州市の小倉駅前にバラック小屋みたいな輸入レコード専門店がありました。そこは結構広く在庫量も多かった記憶がありますが、私が小さな子供の頃の想い出なのであまり当てにはならないかも知れません。

 

博多のジュークレコードは既にオープンしていたと思います。ジュークレコードは輸入盤や国内盤問わず、中古盤も扱っていたので結構品数は豊富でした。ただお店が狭かった(笑)。

 

パッと思い出してもそれくらいです。 

 

■タワーレコードKBC

 

 

一度でも、80年代初頭の東京の輸入レコード店(旧タワーレコード渋谷店や六本木WAVEなど)を知れば、もうとても~街の歌謡曲を主力に取り扱っている~普通のレコード店でレコードを買う気にはなりません。 

 

一度、博多在住の友人に博多のレコード店を案内してもらった事があります。お店自体の数はソレなりにありましたが、こじんまりとしていて在庫も多くなく、レコードを漁ることを楽しいと思えるお店はあまりありませんでした。常連さんが上で一見さんはそれなりの扱い、みたいな空気感も何となく嫌な感じでした。

 

 

その時、連れて行かれたレコード店のひとつに初代タワーレコードKBCがありました。その頃のタワーレコードKBCは九州朝日放送というTV局の建物の1階にあり、全然レコード店という雰囲気ではなかったように記憶しています。殺風景なフロアの一部を区切ってレコード並べているだけ、みたいな。そういうイメージで記憶に残っています(間違っていたらすいません)。

 

私は当時、福岡にもタワーレコードがある!という事を聞き、期待を胸に訪問しました。ワクワクしながらお店のドアを開けてみると、あまりにもイメージとかけ離れた店舗が見えて相当ガッカリでした。旧タワーレコード渋谷店とあまりにも違い過ぎるじゃないか!と。何なんだ?これは?と。 

 

■ファッションビル『エリア・ドウ』

 

それからしばらくして、天神の西通り近くにエリア・ドウというファッションビルがオープンしたことを知りました。時は1986年辺りです。

 

で、驚いたのは~どこで知ったかは覚えていませんが~そのビルの中にタワーレコードKBCがオープンしたということでした。移転して再オープンとありました。

 

これは一度は行ってみなければ、と思いました。あまり期待しすぎてもアレなので、期待は程々にして。初めて伺った日のことはあまり憶えていません。でも多分1986年の夏くらいだったと思います。

 

 

エリア・ドウは洗練された、ファッショナブルなビルでした。

 

当時は珍しかったと思いますが、一階のフロアが確か全面ビュッフェになっていて、内装はハイテックな感じで統一されていました。当時の渋谷東急ハンズにも最上階には似たようなビュッフェがあり、私は良く利用していました。大変似ていたので驚きましたが、ひょっとすると渋谷の東急ハンズを真似たのかな?とか思ったりしました。

 

そのビュッフェで食事した後、エスカレーターで5階へ昇りました。確か5階がタワーレコードKBCでした。ワクワクドキドキの瞬間です。

 

 

タワーレコードKBCのフロアへ一歩足を踏み入れて驚きました。

 

前のタワーレコードKBCとは全く違っていたのです。綺麗だしフロア面積も十分広かったし、何よりもお店が洗練されて見えました。

 

一フロアが全て販売フロアになっていて、在庫量も豊富で種類も多かった。旧タワーレコード渋谷店と同じくらいの広さはあったと思います。当時の九州では間違いなく一番だったでしょう。東京のレコード屋と比べても全く見劣りしないレベルでした。

 

それに、ラフトレードなんてレーベルで仕切りがあるのも驚きました。東京のレコード屋でもここまで細分化するのは珍しかったですから。とにかくフロアに入った瞬間スゴイ!と。超興奮したことだけはよく覚えています。

 

以降は、天神のタワーレコードKBCでレコードを買うようになりました。

 

私は地方在住なのでもちろん交通費はかかりました。でも、それ以上にタワーレコードKBCの空間にノックアウト☆(笑)されていたのです。あの空間に身を置きレコードを漁ることが楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。これ程大量のレコードに囲まれた空間って当時の九州では、このタワーレコードKBC以外にはありませんでしたから。

 

■アナログレコードからCDへの移行

 

この頃は、アナログレコード全盛期からコンパクトディスクへの移行期に当たりました。

 

80年代末までは圧倒的にアナログレコードの世界でして、タワーレコードKBCでも取り扱いはほぼアナログレコードばかりでした。CDはあっても極端に数が少なかったと思います。

 

しかし、90年代に入る頃はアナログレコードとCDが混在するようになりました。

 

面白かったのは、当時はLPサイズのケースでレコードを陳列していましたから、取り扱いの増えたCDもそのLPサイズの陳列ケースに綺麗に収まるように紙の大きな箱に入れて陳列していた事です。

 

今じゃ憶えている人も少ないと思いますが、当時、この箱から取り出すのが面倒で面倒で仕方ありませんでした。結局、捨てるだけなんだから販売時に箱から取り出してくれればいいのに、とか思っていました。

 

でも、確かにその紙の箱に収めて陳列することでLP陳列ケースにCDが綺麗に並べられていたので、レコードと一緒にシャカシャカ見ていく事ができたという利点は大きかったです。

 

しばらくするとCD用の陳列ケースが導入され、紙の包装は行われなくなりました。

 

■タワーレコードKBCからTRACKSへ

 

90年代に入りしばらくすると、タワーレコードKBCはTRACKSという店名に変更します。

 

元々、タワーレコードKBCは九州朝日放送がタワーレコ-ドのフランチャイズ権を獲得して営業していたようです。タワーレコード直営店舗の全国拡大に伴い直営店が博多にオープンすることになって、フランチャイズ権を解消し、独自の店舗として営業を継続することになったようでした。

 

その店舗名がTRACKSです。

 

時期はもうハッキリ憶えていません。90年代の最初はまだタワーレコードKBCだったと思います。多分、92年頃でしょうか?。全く記憶に自信はありませんが。

 

TRACKSは最初はタワーレコードKBCと同じくエリア・ドウ内で営業していましたが、しばらくしてもっと天神の南に位置するビルへ移転しました。確かジークス天神というビルだったと思います。

 

 

この移転が個人的に足が遠のくキッカケとなりました。

 

いまでこそ天神は南側が栄えていますが、当時は親不孝通り全盛期でもあり、まだまだ北が元気でした。タワーレコード福岡店(直営店)も天神北に位置するショッパーズ専門店街にオープンしました。エリア・ドウはまだ天神の中心というイメージがありましたが、ジークス天神は南の外れというイメージが強すぎて、他に興味ある店舗もなかったので、私はもっぱらタワーレコード直営店の方を利用することになったのです。

 

ジークス天神にオープンしたTRACKSは、内装がお洒落な感じで雰囲気はとてもよかったです。でも、ジークス内の店舗に統一感がなく、~3階は確かPCパーツとか売ってて福岡の秋葉原なんて宣伝されていました~ちょっと浮いた感じで落ち着かない風でもありました。

 

そのような理由が響いたのかはわかりませんが、経営は厳しかったようです。TRACKSは90年代終わり頃に閉店します。80年代から福岡の音楽カルチャーを牽引し一時代を築いたお店は、あっけなくその生涯を閉じてしまいました。

 

個人的にはエリア・ドウから移転したのが敗因だったのでは?と思います。でも、ビルを壊すという理由でしたから移転も仕方なかったのですが・・・。ここで運が尽きたのかもしれません。

 

■タワーレコードKBCでの思い出

 

エリア・ドウ時代のタワーレコードKBCのレジは小さいものでした。店舗の大きさに比べればレジが一台というのも変わっていたと思います。お客さんは多かったので、レジにはいつも長い列が並んでいたように憶えています。

 

大分前ですが雑誌のインタビューを読んでいたら、インスタントシトロンのVoの女性の方の発言が目に留まりました。彼女がTRACKSというレコード屋でバイトしていた、というのです。それを読み、私はハッとあることを思い出しました。

 

タワーレコードKBCだったかTRACKSだったか忘れましたが、エリア・ドウ時代の話です。

 

普通はレジに立っている人は一人だったと思うのですが、その時は女性が二人でレジに立っていました。一人は背が高く綺麗な女性で、もう一人は背が低く可愛らしい感じの女性でした。その時、レコード屋には不釣り合いに思えて何故か強く記憶に残っていました。

 

その背の高かった女性がインスタントシトロンの人だったんじゃないか?と、思ったのです。似ていたような気がするんです。今考えると。まあ、今更確かめようは無いですが・・。

 

 

87年頃、タワーレコードKBCの店内でレコードを物色していたら、えらく大きなカメラを持った男の人が入ってきて店内の撮影を始めました。

 

多分、宣材の写真なのだろうな、と思いながらあまり気にしませんでしたが、フト気づくと何枚かは私の方へカメラを向け写真を撮っていました。レコードを漁る若者のイメージみたいに使われるのかな?とその時は思いましたが・・・。

 

あの時の写真に本当に私は写っていたのか?。また一体何に使われたのか?。何故か今頃気になっています(笑)。確かコートを着ていたので冬だったと思いますが、黒ぶちセルフレームの眼鏡をかけていたのが私です。誰か記憶に残っていましたら情報下さい(笑)。宜しくお願いします(笑)。

 

■レコード値段シールの比較

 

 

 

タワーレコードKBCで購入したレコードの一部です。

 

タワーレコードKBCで購入したレコードの値段シールには、他のタワーレコードとは違って『TOWER RECORDS KBC』という文字が印刷されていました。黄色のレコ袋にも『TOWER RECORDS』の下に大きく『KBC』という文字が印刷されていました。

 

袋は大事に保管していたのですが、色々あって紛失しまいました。

 

今はこの値段シールのみがタワーレコードKBCとの関りを唯一証明できる証拠のように思えています。

 

 

 

 

 

 

こちらは、その他のデザインの値段シールです。

 

どうして変更されているのか良く分からない事もありますが、こうやって見比べると中々面白いもんです。

 

このレコード群には旧タワーレコード渋谷店で購入したレコードとタワーレコードKBCで購入したレコードが混在しています。タワーレコードKBCで購入したレコードは『COLER BOX』です。以外の3枚は多分旧タワーレコード渋谷店で購入しています。

 

同じタワーレコードKBCの中でもデザインが複数あるってのが注意を惹きます。

 

 

 

 

ちなみに、この2枚は移転後のTRACKSで購入したレコードです。

 

TRACKSは値段シールには印刷されていなかったようです。2枚目の写真のTRACKSロゴがお店のロゴそのまんまです。

 

2枚とも10枚3000円でセールしていた時に購入したレコードです。うろ覚えですが、時期的な事を考えると多分閉店セールの時のモノではないか?と思います。

 

 

 

TRACKSロゴの値段シールを発見しました。プリファブ・スプラウトの7インチです。現存する値段シールは結構珍しいかも知れません。

 

 

 

またまたTRACKSロゴの値段シールを発見しました。こちらはシングルCDですが、またもやプリファブ・スプラウトです(笑)。・・・どんだけ好きなんだよ、自分(汗)。

 

配色が白色なので、多分、通常の値段シールだと思われます。緑色の値段シールはバーゲン品でしたから、色で区別しているのだろう・・・と推測します。

 

 

今回は福岡のレコード屋です。当時の福岡では一番と言っても過言ではないレコード屋でした。何かと思いで深いお店でした。

 

私にとってタワーレコードKBC=エリア・ドウでした。タワーレコードKBCの思い出は、すなわちエリア・ドウの思い出でもあります。思い出すと、浮かぶのはエリア・ドウの景色です。

 

一階にあった大きなビュッフェは早い時期に無くなりましたが、代わりに裏口から入ってすぐのところに小さなカフェのようなお店が入りました。私は良くそこで休憩をしてコヒーを飲んだりケーキを食べたりしていました。

 

その先にはエスニックな雑貨屋さんがあって、上の階に大きな古着屋さんなんかも入っていました。最上階にもお洒落なカフェが営業していて、いつもお客さんで賑わっていました。私も何度か利用した事があります。

 

写真がひとつでも残っていればいいいのですが。何もないのが歯がゆいばかりです。全ての記憶は頭の中にしかありません。

 

遠い過去の思い出ですね。

 

ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

 

(終わり)

(2019.06.18、TRACKS値段シールを追加)

(2022.06.01、TRACKS値段シールの別バージョンを追加)