夫曰く、

私は100言わないと答えが返ってこない

そうです。

日本では全く逆の事を言われていたので、

これは私の性格が問題なのではなく、
第二ヶ国語での生活+文化の違い

からくるものだと確信しているのですが・・・。

そもそも何が発端かと言うと、

夫がふと私に聞いたことから始まります。

夫「ねえ、20ドル丁度の出金があるんだけど、
これって何?」

私「それ今日の?」

夫応えない。
(応えない時はうなずいているのと同じと長年の経験が語る)

私「えぇ、何だろう。見覚えないんだけど。
やだなぁ。詐欺だったら困るね。ちょっと確認してくるよ。」

私、パソコンで確認をする。
結果、今日の出費ではなく、夫が数日前に床屋で使っていたことが判明。

私はほっとして、

「今日の出金じゃなかったよ。詐欺じゃなくてよかったね。」

それに対して夫は、

「まださっきの質問に答えてもらってないんだけど。」

私「何のこと?」

夫「だから、それが何の出金だか。」

私「ああ、あなたが数日前に床屋に行った時のだった。」

夫「Makiは質問しないときちんとした答えが返ってこないんだから。
何でいつもそうやってわざと知らないふりして答えないわけ?」

とこんなことを言われました。

全くもって意味不明です。
そもそも自分の出費だろ!
そう叫びたくなります。

どうなんでしょう。
アメリカ人なら普通にできていることなんでしょうか?

いや、そんなことはないでしょう。

私は、
「私のこういう部分は私がどんなに努力しても一生直らないと思う。
だから、私があなたの欲しい回答を出さないときは私にいちいち聞いて欲しい。
でも、絶対に私がわざと意地悪で答えないとは思わないで。
私はそんな意地の悪い性格じゃないよ。
もっとシンプルな人間なんだから。」

そう答えました。

こんな人と生活できる人って私くらいじゃないか。

本当にそう思います。

でも人間を直すってできないこと。
だからお互いの許せない部分を許していくしかありません。
(ああ、大変。)

昨日また同じようなことがありました。
私は、

「ほらね。私はそんなスマートじゃないから、
逐一聞いてもらわないとだめなんだよって言ったでしょ?
辛抱強く頼むね。」

そう言うと、夫は何も言えなくなりました。

もっと気楽にいけばいいのにね。
人生何を急いているのか。

夫のこういう部分って息子が成長したらどんな風に写るんだろうか。
子供の意見が聞けるようになる頃、
夫が几帳面(変)すぎるのか
異文化からくるずれなのかが判明するんでしょう。

子供が審判を下すことでしょう。
その時まで判定はお預け。

聞きたい答えが返ってこないのは
質問の仕方が悪いから

そう思うのは私だけでしょうか?

自分を振り返り反省する

そういうアメリカ人の人ってそういえばあまり見受けません。

その考えは日本人特有のものなのかもしれませんね。