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 1980年アメリカ映画
監 督)デビット・リンチ
出演者)ジョン・ハート  =ジョン・メリック
    アンソニー・ホプキンス=トリーブス外科医
    アン・バンクロフト=ケンドール夫人
    サー・ジョン・ギールガット=カーゴム院長
    フレディ・ジョーンズ =バイツ
    マイケル・エルフィック=夜警の男       etc.

                              
イギリスに実在した
エレファントマンこと
ジョン・メリックの短い生涯を描く。

自ら望んで醜態でこの世に生を受けたのではない。
それなのにどうしてこんなにも辛くて
過酷な運命を強いられるのか、、、、

劇中でのメリックは人として扱われず、
俗にいう家畜以下の存在として、
劣悪な環境のもと生活をさせられていた。

また推定の年齢として年が
述べられるシーンがある。
推定年齢・・・・・こんなことが
あっていいのかと愕然とさせられ、
作品を観るうちに
胸は苦しくかきむしられる思いになる・・・・・

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物語は19世紀末のロンドンを
舞台に描かれている。
ロンドン病院の有能な外科医フレデリックは
町で行われていた見世物小屋で
エレファントマンと呼ばれる
奇形の人間を初めて目にする。
   
頭は大きなこぶが覆い、
体の皮膚は象の肌のような質感と
無数の歪ないぼで覆われて、
歩くのも困難な一人の男がいた。

初めはフレデリックも衝撃を受けながらも、
自分の研究発表に使えないかと、
エレファントマンの所有者バイツに頼み、
金を渡し、自分の働く病院の隔離病棟へと
メリックを連れてくる。
   
ほどなくしてこの病院の院長カーゴムに
メリックの存在を気づかれてしまう。

当時の医療ではメリックのこの症状が
どこからくるものなのか解明できず、
もちろん不治の病として治療は皆無だった。
そのため、院長も治る見込みのない人間は
ここには置いておけないと転院を
フレデリックに告げる。

その前に一度、メリックに会いに
来ると言ってくれた院長に、
せめて挨拶だけでもさせようと
フレデリックはメリックに言葉を教える。
My name is~と。

院長も、
その時までフレデリックも
メリックは感情など乏しく、
口の異常な変形に会話もままならない上に、
知能も極低いものだと思っていた。

しかし、二人が部屋を出たとき扉から
こぼれ聞こえるメリックの聖書を
述べる言葉が・・・・

二人は驚き部屋に戻り、メリックに尋ねる。
「どこで覚えたんだ?」と。

今まで生きてきた時間のほとんどを
人間として扱われたことのなかっただろうメリックは、
その人間としての誇りを見失わずに生きてきたことに
私は衝撃と感動の両方の感情を覚えた。

見世物としての時間が終わると、
薄暗い不衛生なわずかな空間に入れられ、
そこで必死に聖書や詩を読みつづけていたのだろう・・・・・・・



院長の特別な計らいで、
メリックは病院にいることができるようになり、
人生において初めての家を持つことができた。


フレデリックとメリックにも
先生と患者の関係を超越した
信頼関係が生まれ、
大切な友人という存在になり始めていた。
   
ある夜は、フレデリックは自宅に
メリックを招待したこともあった。
初めて見るメリックの容姿に
衝撃を受けながらも、
心優しくメリックをもてなす
フレデリックの妻アン。
こんなに素敵な女性に
親切にしてもらったことは
生まれて一度もないと
感動のあまりむせび泣くメリック。
   

どうかどうか、
そう長くは生きられないだろうメリックに、
フレデリックの少しでも近くで、
少しでも安らかに時を刻んでほしいと
願わずにはいられなかったが、、、、、、

しかし、幸せな時間は音を立て、
また崩れようとしていた・・・

見世物小屋の興行を共にしていたバイツが姿を現す・・・・・
   


フレデリックがメリックの死後、
著書を出す。
「エレファントマンとその他の思い出」
(THE ELEPHANT MAN AND OTHER REMINISCENCES.1923)
その中にメリックの死を悼み述べた言葉がある
「人間らしさという見本からすれば、
メリックはいやしくいとわしいものであった。
しかし、メリックの魂は、
もし生きた人間の形にしてみれば、
すらりとした英雄のごとき人物の風貌をし、
たれやかな額と清らかな肢体に
不屈の勇気の輝く瞳を持っていたことだろう。」とある。
~映画冊子のフレデリックの著書に関する記述から抜粋~



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メリックが病室の小窓から辛うじて見える
セントフィリップ大聖堂の塔の一部分から
全体像を想像して箱で模型を作っていた。

片手は使えない中、
繊細な模型の製作にはメリックの
才能は計り知れなかったんだろうな、
と思わされる。

*wikiによると、実際のジョン・メリックは
12歳までは親元から学校にも通っていたとある。