先日(2月28日)に亡くなった叔母の葬儀は、

コロナ禍が終息しつつある3月6日となった。


スカイツリーが見える都内の斎場で家族葬での見送りとなった。




朝6時に従兄弟が迎えに来てくれた。

もちろん、ニャンコのご飯とトイレを完璧に終わらせてから、自分の用意。

ガーン厚手のストッキングが伝線ガーン

仕方なく、薄いストッキングに着替えて、時間がなくなり化粧途中で家を出た。

途中の八潮のパーキングで、厚手ストッキング購入。トイレで履き替える。暖かくなった。

と思ったら、再び穴が開いている。ガーン

諦めたチーンもういいや⤵︎


高速道路の渋滞もたいしたこともなく、叔父の家に8時に着いた。早っ。滝汗


叔父は、こんな感じなんだと葬儀の見積もり書を

見せてくれた。

 立派なバインダーに挟まれた見積もり書。

 こんなに立派なバインダーにしなければ、

 もう少し安くなるのではと考える。真顔

1時間以上叔父の家に滞在してから、斎場へと向かう。○○家と書かれた案内が、10家分?

ほぼ同時刻に始まる葬儀。

隣りの部屋のお経と木魚の音が、気になった。

電車の音も気になった。

これが都会と言うものなのかを目の当たりにしたのは、火葬場。

これから釜に入ろうとする横では、焼かれた方の骨を収骨するべく準備をして、さらには、あっという間に次の方に名前が変えられていた。

 手際が良いけれど、どの親族も悲しんでいる

 暇が無いように見える。

2週間前のアブヤの田舎の葬儀では、未だ忌中払いは弁当だったが、今日の忌中払いは普通に会食。



久しぶりに会えた従姉妹達と話が出来るのは、

うれしいが、やっぱりコロナが頭の片隅から

離れない。真顔


これから一人暮らしの叔父は、耳が遠く補聴器🦻をつけているのだが、会話が漫才になってしまうので

叔父を心配し、皆んなで葬儀後に叔父の家に向かった。


すると、10分もしない内に近所の方が弔問に現れた。私的には、その近所の方の言葉が、胸にジーンとくる一言だった。

『○えさん、一言言わせてください。

 毎年、5月になると、筍を茹でてくれましたね。

 私は、すごく筍が好きで楽しみでした。

 もう食べられないのが残念です。

 本当にありがとうございました。』


叔母さんに心から、語りかけてくれていたに違いない言葉だった。


 この後、出来ることを手伝って、日の落ちる前には、家に着いた。真顔


叔父ちゃん、大丈夫?


  🤔なんとかなるさ❗️