東日本大震災から、10年。
消えることがない記憶。
たくさんの人達が、傷ついた日。
この日が無ければ、…だったろう。
何度も、くじけず這い上がる人がいる。
今を、一生懸命生きよう。
合掌
10年前、停電の中、放射能漏ればかり気にしていた相方がいた。危険だから、学校🏫を休ませろと言い、もうすぐ卒業の息子の送り迎えをしていた。
もともと、買いだめばかりする相方。
異常なほどの缶詰め🥫、うどん、乾電池🔋を、買ってきた。備えあればと言うが、限度がある。
スプリンクラーに濡れて、びしょ濡れで帰ってきた相方。
一家の主として、頑張ったつもりかもしれないが、
学校を休む連絡は、私
買いだめの商品が多いと、家が、片付かない。
片付けるのは、私。
思えば、震災で、どんどん相方が、嫌になった。
母の面倒も、大変だったが、相方も、かなりのめんどくさおになっていた。
物事を大きく考えると、介護とか息子が腐ったとか、小さい点ぐらいにしかならないのだろうが、その点が、厄介だったりするものだ。
私みたいな人間は、家族バラバラ生活が、ちょうど良いのかもしれない。

