お読み頂きありがとうございます。
これからは、介護のお話とは、また違う辛かったり、時々美味しい食べ物の話になりますので、公式サイトをお引越ししようか検討中のアブヤです。
母を看取り、1年が過ぎた2016年4月。
桜🌸舞い散る頃、仕事場への電話☎️。
口も聞いたことが無い高校の同級生からだった。
誰もが、思うように、また、宗教か鍋🫕の勧誘と思ったが、話を聞いた…
違った
学生時代は、付き合いがなかったが、ここ十数年の友人Kちゃんの病変を伝える電話だった。
Kちゃんは、5年前から膵臓癌と闘っていた。
旦那さんと一緒に受けた人間ドックにて、早期発見。抗がん剤治療。2年後に、転移ではなく新たに婦人科系の癌手術。その後は、自宅マンションにて、点滴療養、数回に渡り抗がん剤治療をしていた。
その後、肝臓転移が見つかり、彼女の中では終活に入っていた。
【看護師さんという職業柄、病気のことがわかったうえでの治療は、私には理解できないつらさだったと思う。】
私の母が亡くなったことを彼女には、連絡しないでおいたのだが、後に彼女に会った時に、実は…と言った時に、残念そうに連絡がほしかったのにと、手紙✉️に香典を添えて、送ってくれた。
(あー😞連絡すべきだったと後悔している。)
電話📞をもらった2日後、友人2人と柏のがんセンターへ向かった。2日前の様子だと、容態は落ち着いているとのことで、のんびりと病院🏥へ…。
😥面会の希望をナースステーションに出して、待つ。
まもなく、旦那さんが迎えに来てくれ病室へ…。
もっと早く、来ればよかったと思った。
あんなに苦しそうなKちゃん。
窓辺に、1人娘のSちゃんが座っている。
大学生になったばかりだ。
旦那さんは、出張の多いお仕事で、Kちゃん親子は本当に仲良し母娘。
友人2人は、一生懸命声をかけていた。
私は、何も言えなかった。
もちろん、これ以上頑張れなんて言えない
言葉が、見つからない
まもなく病院🏥を後にした。
車の中は、春ではなかった。
つづく
