案の定、母は自由だった。
6人部屋には、さまざまな患者さんがいらっしゃる。私が面会に行くと、必ずと言っていいほど、
母のことを報告してくれた。
夜中に、こっそり、下の階に飲み物を買いに行って、ベッドの🛌上で、飲んでいたら、思い切りこぼしてしまい迷惑だったとか…
夜中のシーツ交換で、看護師さんもかなり大変だったはずだ。
しかし、母は言うことを聞かない。
糖尿病の疑いがあるから、甘い物禁止令が、主治医から出されても聞かない。
面会の度に、私は病室の方々に謝罪した。
そして、父が面会に連れて行けと、うるさく騒いだある日の夕方…
渋々、車🚗に乗せて、病室へ…
oh〜no〜
夕方、7時過ぎの病棟で、母を怒る💢父の罵声
もはや、私には何もできない…
一応、母は病人ですよ。
父は、とにかく怒り💢をあらわに、部屋の人達の視線おかまいなしで、騒ぎたてた。
母は、母で、私に早く父を連れ帰るよう指示。
看護師さん登場で、ようやく父は、廊下でも怒り💢ながら、エレベーター🛗に乗ってくれた。
家路への道は、長い長い
道だった。
友人曰く
2004年の春の気候は、脳梗塞を発症しやすい寒暖差だったと…
そして、父の認知症も着々と進んでいたが、この時はまだ、医師の診断を受けていなかった。
2004年には、まだ痴呆症と言われていたかもしれない。
つづく
