翌日、私は普通に学校に行った。
そして、学校から帰ると、母は居なかった。
父には、入院したと言われた。
それからしばらくは、祖母がご飯を作っ🍚てくれた。しかし、3人しかいないのに、いっぺんに5合も炊いてくれたご飯は、何日も炊飯ジャーに入れられて黄色くなってくる。匂いもキツイ。
私は、ご飯🍚が嫌いになった。(今は、美味しいご飯🍚好きになりました。)
当時のあのご飯🍚は、もしかして塀の中のご飯なのではないかと想像してしまう。
およそひと月ほど経った頃に、母と面会ができることになった。
高い塀の鍵がかかった扉🚪を通され、もちろん、入り口も鍵を開けてもらい、小さな面会室で母を待つ。少しして、鉄の扉の向こうから、母が看護師さんと共にやってきた。
この時、私は、あまり会話をした記憶がない。
何故なら、
『お母さんが入院したのは、お前のせいだ!』と言われていた。
よくわからないが、母が言った、私じゃない子が欲しかったという言葉においうちをかけてきた、、
何を話せば良いのか、さっぱりわからなかった。
自分のせいで、病気になったのだったら、とにかく良い子でいるしかないと思っていたのだけは、覚えている。