去年の10 月5日にれおんは虹の橋へ旅立ちました

私は、まだ悲しみが止まらなくて

この気持ちをどうしたらいいのか考えるため

家にいたのでは日常に負けそうなので

朝からスタバに行って気持ちの整理をつけてきました

キルトに残そう!そう思ったのです

ああしていれば、こうしていれば‥

いろんな気持ちが錯綜していました

 

もともと猫が好きだったわけじゃないのに

この喪失感は?

この悲しみはなんだろう

その答えを出したくて

家を離れて考えてみたくて

朝早くからでかけました 

 

答えはでません

理屈抜きで、れおんとれんを見送った悲しみを

自分の中でどのように

おさめたらいいのか

模索していました

 

生まれてすぐだったろう

れおんとれん

私たち家族に命を預けてくれました

11年という年月

癒しをたくさん与えてくれました

言葉で言いつくせない程に

 

京都にきて、息子、娘にどんな変化があろうと

れおんとれんは変わらず癒しを与えてくれました

そして現在がある

感謝という言葉以外に思いつかないのです

 

生まれてすぐの、れおんとれん

ミルクを与えると喜ぶその表情が忘れられません

生きる!という基本を見せてもらったのです

 

今、息子、娘の現状を見守るにつけ

れおん、れんの存在を抜きには考えられないのです

人間は勝手に世の中を支配しているつもりでも

無抵抗の猫には劣っているのです

そう確信した朝でした

 

プルメリア

 

 

 

 

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