夜中も明け方も

どしゃぶりでした

今も しとしと 降っていて

そのどしゃぶりに 気持ちが鎮められています

 

信州土産も買ってきたし

仕事に行こうか、休もうか葛藤していましたが

無理に笑顔をつくるのも嫌だし

優しいことばに緊張がゆるんで泣き出しても相手が困るだろうし

なんだかんだ言い訳をつくって

休みましたてへぺろ

 

母には もう少しこうしておけばよかったとか

ああしておけば良かった と一生懸命くやんでいます  変

 

 

お通夜はわたしが 

葬儀はかわいがってもらった初孫の息子に と提案しましたが 却下

きちんと最後まで見届けてきたほうがいい とむすこに言われ

どっちが親か わからない発言に

いう通りにしてよかったと 今は感謝しています

 

お棺に入れるものや

母への化粧

花で母を飾ったときに

母ならいいそうな言葉を くすっと ひとり思い浮かべながら

納得いくまで 美しく飾りました

照れていただろうな~

この日ばかりは 母は主役だし

何も言えないわけだから

 

 

母の青春時代

男子は戦争に 残った女子は家を守ったり 長刀訓練をしたそうです

きりっとして眼鏡をかけていた母にも当時思う人はいたみたいなことを

生前話してもらったことがあり

その意外性に へ~~っと思ったことを覚えています

 

わたしと娘アルカの感性は似たところがありますが

母とわたしは まったく似ておらず

お前はのんびりやで誰に似たんだか のいわれようでした

 

ご挨拶は両手をついて親指と人差し指で三角をつくるように とか

たたみの縁(ふち)は踏んではいけない

新聞紙も踏んではいけない

ひと様に迷惑をかけてはいけない

女の子はおとなしくしていなさい

 

時代錯誤もいいところですよね

でもそれが母の母から受け継いだ気性、血でした

 

今回の帰省で遠ざかっていた兄たちとも会い

私と違って できのいい兄の一人から

母や父のルーツを、知っている限り聞くことができました

 

で確信できたことは

母方の出は、やはり京都でした

 

兄の話ぶりは学校の先生のようで

なるほどな~と出来の悪い生徒であるわたしは感心して聞いていました

お通夜の長い夜のこと

 

故人を思い考えることは供養になるといわれました

母を思い考えることは、わたしの気持ちの整理もつくと思うので

思いつくままに書き綴っていこうと思います

 

生前、母にあったのは何年も前の夏

以降手紙のやりとりは頻繁にしていましたが

帰省することはありませんでした

実家を継いだ兄が送ってくれる写真から

母のここ数年の生活ぶりをうかがっていたくらいです

 

母の手紙には 会いたいとか かえっておいでとか

一言もかいてありませんでした

姪や甥の実家でもあるので

代がわりした家なので、娘のわたしが帰省すると

お義姉さんに迷惑がかかると

遠慮の気持ちもおおきかったと推測できます

 

姑に気をつかい、今度は嫁に気をつかうという

はざまの年代の母は一番大変だったかもしれませんね

 

気丈だった母

心配性だった母

 

納棺の前に

私が使っている口紅で紅をさし

母を抱きしめ頬ずりしました

兄は、初めて額にキスしちゃったよ と照れていました

 

それぞれのお別れのしかたですね

 

yumika