田舎の母から手紙をもらいました
葉がきがきて、そのあと手紙が…
いつもそんな感じで両方きます
母は満87歳大正生まれ
わたしは4人兄弟の未っ子で唯つ女の子
一番上の兄は義理のなかで母は後妻でした
いのししのように真っ直ぐな母で
戦時中は両親と家を守り
戦後仲人さんが持ってきてくれた父とのはなしに
父が教員だということで後妻でも結婚したそうです
昔から公務員は受けが良かったのかも
その当時母にはもうひとりお相手のはなしがあったようで
遠い親戚のひと
母は本当はその人に気持ちが動いていたようですが
教員ということだけで
父と結婚したとききました
結婚したときには
亡くなった、父の先妻の子がいて
その子は、祖母が猫かわいがりしていたそうで
母はその子の母親にはなれなかったみたい
精神的にかなり複雑でむずかしい結婚生活だったろうなと想像できます
母の実の子は、わたしも含めて三人
上は兄ふたり
いつも義理の子(長男)に気を使って
服でも下着でも思うようには買えなかったとか
そういう環境で育ったので
私たち三兄弟は知らないうちに周りに気を使うようになって居たと思います
いつも良い子でいないと
お母さんが可哀相だから・・
お母さんに迷惑をかけないようにしなきゃ・・
そんなこんなで
わたしは自分のことは一切話さない子になっていました
困ったことも
迷ったことも
悲しいことも
嬉しいことも
もちろん悩み事も
お手伝いをしようとすると
時間がかかるから向こうに行ってなさい
と、良く言われたのを覚えています
今は
母がいっぱいいっぱいだったんだなとわかりますが
その当時はこわいお母さんだなって思っていました
思春期になって
お母さんも、女性で、義理の息子がいて
うるさい親戚がいて、大変だなとわかるようになりましたが
なので
母には心配させたくなくて
今までもず~っと
この年になっても
これまでのこと
辛いこと
悲しいことはな~んにも話してないのです
田舎から京都に引っ越すと言うときも
直前に母のところによって
今から京都へ・・・と言ったかんじで
なんて悪い子でしょうね、わたし
もし、ひろやアルカがそうやって私に対して心を閉ざしていたら
と思うと胸がきゅ~んとなって
とっても辛い
なのにわたしは母に
ず~っと
ポーカーフェイスで接してきてしまった
親不孝してきてしまったなと痛切に感じています
ひろとアルカとは
そうさせない母子関係を作っていれば大丈夫だけれど
・・多分今のところ大丈夫‥?
でも大人になればなるほど
何か親には言わないことができてくるものでしょうね
☆
親不孝娘のわたしは
遠く離れてから頻繁に母に手紙を書いています
母もそれを楽しみにしていると兄から聞いたので
京都っぽい柄の切手をはって出すようになりました
母はその切手をはがして
ノートに貼っていると手紙に…
ほんのわずかな物でも無駄にはしないという親心が伝わってきて
大正の親のありがたさが
わかるようになりました
そんな母からの手紙に
ゆみかも立派な母だねとあったのです
ちっとも立派なんかじゃないのに
泣き言をいえないだけなのに
幼い時のようにお母さんの腕の中にへばりついていられたらどんなに楽だろうと
思うときもたくさんあるのに
なので
母からほめられても恥ずかしくないように
がんばらなきゃと反省致しました
でも、とても母のようにはなれそうもありません
だらだらしているし
ごろごろしているし
はあ~~~
お母さん、ごめんなさいね

葉がきがきて、そのあと手紙が…
いつもそんな感じで両方きます
母は満87歳大正生まれ
わたしは4人兄弟の未っ子で唯つ女の子
一番上の兄は義理のなかで母は後妻でした
いのししのように真っ直ぐな母で
戦時中は両親と家を守り
戦後仲人さんが持ってきてくれた父とのはなしに
父が教員だということで後妻でも結婚したそうです
昔から公務員は受けが良かったのかも
その当時母にはもうひとりお相手のはなしがあったようで
遠い親戚のひと
母は本当はその人に気持ちが動いていたようですが
教員ということだけで
父と結婚したとききました
結婚したときには
亡くなった、父の先妻の子がいて
その子は、祖母が猫かわいがりしていたそうで
母はその子の母親にはなれなかったみたい
精神的にかなり複雑でむずかしい結婚生活だったろうなと想像できます
母の実の子は、わたしも含めて三人
上は兄ふたり
いつも義理の子(長男)に気を使って
服でも下着でも思うようには買えなかったとか
そういう環境で育ったので
私たち三兄弟は知らないうちに周りに気を使うようになって居たと思います
いつも良い子でいないと
お母さんが可哀相だから・・
お母さんに迷惑をかけないようにしなきゃ・・
そんなこんなで
わたしは自分のことは一切話さない子になっていました
困ったことも
迷ったことも
悲しいことも
嬉しいことも
もちろん悩み事も
お手伝いをしようとすると
時間がかかるから向こうに行ってなさい
と、良く言われたのを覚えています
今は
母がいっぱいいっぱいだったんだなとわかりますが
その当時はこわいお母さんだなって思っていました
思春期になって
お母さんも、女性で、義理の息子がいて
うるさい親戚がいて、大変だなとわかるようになりましたが
なので
母には心配させたくなくて
今までもず~っと
この年になっても
これまでのこと
辛いこと
悲しいことはな~んにも話してないのです
田舎から京都に引っ越すと言うときも
直前に母のところによって
今から京都へ・・・と言ったかんじで
なんて悪い子でしょうね、わたし
もし、ひろやアルカがそうやって私に対して心を閉ざしていたら
と思うと胸がきゅ~んとなって
とっても辛い
なのにわたしは母に
ず~っと
ポーカーフェイスで接してきてしまった
親不孝してきてしまったなと痛切に感じています
ひろとアルカとは
そうさせない母子関係を作っていれば大丈夫だけれど
・・多分今のところ大丈夫‥?
でも大人になればなるほど
何か親には言わないことができてくるものでしょうね
☆
親不孝娘のわたしは
遠く離れてから頻繁に母に手紙を書いています
母もそれを楽しみにしていると兄から聞いたので
京都っぽい柄の切手をはって出すようになりました
母はその切手をはがして
ノートに貼っていると手紙に…
ほんのわずかな物でも無駄にはしないという親心が伝わってきて
大正の親のありがたさが
わかるようになりました
そんな母からの手紙に
ゆみかも立派な母だねとあったのです
ちっとも立派なんかじゃないのに
泣き言をいえないだけなのに
幼い時のようにお母さんの腕の中にへばりついていられたらどんなに楽だろうと
思うときもたくさんあるのに
なので
母からほめられても恥ずかしくないように
がんばらなきゃと反省致しました
でも、とても母のようにはなれそうもありません
だらだらしているし
ごろごろしているし
はあ~~~
お母さん、ごめんなさいね
