6月14日   浦佐毘沙門堂 普光寺でお参りして 素敵な御朱印をいただきました。


普光寺(ふこうじ)は、新潟県南魚沼浦佐にある真言宗豊山派の寺院です。
本尊は(金剛界の)大日如来

歴史

普光寺は、もとは毘沙門天を祀るお堂の別当寺として建てられたと見られ、毘沙門堂は807年大同2年坂上田村麻呂の開基により創建されたという。戦国時代には、上杉謙信や上杉景勝が訪れ、彼らの文書が残されている。江戸時代には、この地の領主の帰依を得て寺領を与えられ、江戸幕府からは朱印状を与えられていた。なお、江戸時代には古義真言宗(醍醐派)に属していたが、明治に入り新義真言宗(豊山派)に転じた。

毘沙門堂は1917年大正6年、文部省から当時の古社寺保存法に基づく国特別保護建造物に指定された。しかし1931昭和6年)に火災のため焼失し、その後5年の歳月を費やし同所にて1937昭和12年)に再建。設計は当時日本建築の権威であった伊東忠太が担当した。

寺の本堂から毘沙門堂へと続く渡り廊下の途中に宝物殿があり、そこに毘沙門天像が秘仏として安置されており、この像は当寺の住職一世一度限りご開帳されることになっている。


石標門
町中に位置する観光寺で平日でも多くの人で賑わってました。

吉祥橋




山門(毘沙門堂楼門)
文政3年(1820年)起工、天保2年に完成した。総ケヤキ造りで、日光東照宮陽明門を模したといわれる。釘は1本も使われていない。






天井には、谷文晁作の双龍図が描かれている。また、2階部分には極彩色の天女の舞う姿が23枚描かれている。

回廊

浦佐毘沙門堂
 毘沙門堂は大同二年(807年)平城帝の御代、坂上田村麿将軍が東夷征討のおり、 国家鎮護のため建立し、インドの仏工毘首羯摩作という「本尊毘沙門天王」を奉祀さ れたのが草創と言われております。  承久三年(1221年)鎌倉幕府は、地頭平繁基をして堂領を献じ、道乗坊弁覚を毘沙 門堂別当に任じ、付近一帯を「永代伐木殺生禁断の地」と定めてから、毘沙門堂の御威 徳は顕著となりました。




ご本堂

聖徳太子堂

日本最大の不動明王とうがい鉢


鐘楼堂

長寿欅
この欅の木に手を回して願い事をすると願いが叶うそうです。

裸押合い祭
2メートルを超える雪の中で行われる裸押合祭りは、日本の奇祭と言 われ、「北越雪譜」の中にもその当時の祭典の模様が詳しく記されています。 今から約1,200年前、坂上田村磨がこの地に御堂を建て、守護仏の毘沙門天王を祀って、 部下の将士や村長(むらおさ)や村人と共に国家安穏と戦捷を祈願し、あわせて 五穀豊穣・家内安全・身体健康を祈り、祝宴の中で歌い、踊って士気を鼓舞したことに 起因するものと言われています。その後、毘沙門天王の霊験あらたかさと、 幕府の庇護にあづかったことにより、歳々参拝者が多くなりました。


6月14日  ミステリーツアーで、向かったのは新潟県でした。
ツアーのラストに素敵な浦佐毘沙門堂に連れて来てもらいました。

個人では訪れる機会がなかったかも知れないお寺とご縁を結んでくれたミステリーツアーに感謝です。