今日は一気に寒くて引きこもり
それで、やっと(2)です💦
菅原道真から天皇陛下に至る流れは、大きく3つ
①高視
②淳茂
③女御衍子
そのうち、今回は①の高視からの流れ
彼は、身内である菅原宗岳の娘との間に雅規を生すのだけど、この雅規の孫が菅原孝標
そう‼️
「更科日記」を書いた孝標女のパパにあたる
孝標女の母親は藤原倫寧の娘で、「蜻蛉日記」の作者とは姉妹
ちょっと面倒かもしろないけど、「蜻蛉日記」を書いたのは、最近巷で兼家パパって言われてる人の奥さんの1人で、道綱を生んだ人
つまり、菅原孝標女と藤原道綱はいとこにあたる
なんだか、やっぱり文学の才が漂ってる
この孝標女の兄弟が菅原定義で、彼の息子の在良が唐橋、是綱が高辻を名乗るようになるんだけど、是綱の血筋は途絶えるので、結局、在良の系統から高辻を名乗る人物が出る事になる
で、まず、唐橋家がこちら⬇️
唐橋家の娘が九条政基を生み、その末裔が九条尚忠で(⬆️の左下あたり)、彼は大正天皇の皇后節子のおじいちゃん、つまり、昭和天皇のひいおじいちゃんにあたる
それから、唐橋家の長守が高辻を名乗るようになり、更に、高辻家から五条家が枝分かれしていく
⬇️
この流れ、実におもしろい
有名どころをピックアップすると、徳川家光の御台所の孝子、徳川綱吉の御台所の信子、霊元天皇の中宮房子(⬆️の右の真ん中よりやや下あたり)
東山天皇の生母や伏見宮貞敬親王の生母もこの流れを汲む
そして、この系図のずいっと左下あたり
今上陛下への繋がりとは違うけれど
五条家から派生した東坊城家の娘が高倉家に嫁ぎ、その高倉家の娘が広橋家に嫁いでできた末裔の広橋栄子
彼女は最初、岩倉具視の息子に嫁いだんだけど、死別後、鍋島直大に再嫁する
鍋島家で生した子のうち、伊都子が梨本宮に嫁いで生んだのが、大韓帝国最後の皇太子、李垠の妃、方子女王
伊都子の妹、信子が松平恒雄に嫁して生まれたのが、秩父宮妃勢津子や、昨年❓徳川宗家を継いだ徳川家広氏の祖父、一郎など興味深い