このところずっと、紫式部周辺の系図ばかり書いていて、なんだか親戚感覚に陥りそう💦


さて、今回は、藤原範子と土御門通親の間に生まれた、久我通光からの系図を挙げてみる


面白いなと思うのがいくつかあって、彼の息子の雅忠の娘、後深草院二条

「とはずがたり」の作者と言われている人

本当は存在しなかったんじゃないかという説もあるんだけど、個人的にはやはり、「とはずがたり」の作者だと思っている

一つには、文学的繋がりのロマンスを捨てがたい💦

もう一つには、彼女の奔放な男性遍歴に上がる人物の関係性がリアルなのと、彼らとの間に子を成したというのを本で結構読んできたから

…エビデンスとしては薄いかもしれないけど


ちなみに、多分ご存知の方が多いとは思うけれど、「とはずがたり」、結構生々しいです💦

詳細はここでは割愛



更にぐいぐい下がって下のほう、真ん中あたり

この通光さんの流れから生類憐みの令の徳川綱吉の側室の大典侍や、あと、公家から武家となって松平姓を許された松平信平が出てくる

大典侍は、大袈裟に言えば篤姫が徳川に嫁ぐ大元のきっかけになったと言えなくもない


⬆️ここまで余談


で、天皇陛下に繋がっていくのは、上の系図の右下の方の久世通夏という人なんだけど、次回、久世通夏からの流れを書く


今日はほぼ余談💦