通勤帰宅の電車のなかで、初めてこのニュースを目にしたとき、私は慟哭を押さえきれなかった。

タオルハンカチで鼻を覆い、急いで改札を抜け、わざわざ暗い夜道を選んで自宅に向かった。

「なんで、どうしてだ?

16歳の子がひとりで立ち向かうには、あまりにも過酷だ‥‥」


二度の救急外来

二度の電話相談


どれほど苦しかったのだろう。

きっとご家族は声をかけたはずだ。

「病院着いたよ、もう大丈夫だからね!」


でも‥


初診が研修医であることばかりクローズアップされているが、むしろそれ以上に、入院後の対応に問題があったように、私は感じる。


https://www.nagoya2.jrc.or.jp/content/uploads/2024/06/fdc0e7650fffff257ce52946c42b3c79.pdf


いくつも検査はすれども、数値しか見ず、その本体たる患者を見ていなかった‥

素人がみても、きっとそれは〝尋常じゃない容態〟だったと思う。


患者や家族の訴えに、耳を貸さなかった。

医療者にとってそれは、意味のない言葉であり、個人的な不満としてしか、認識していなかったのだろうか。


患者本人の絶望感たるや、いかに。

ご本人が亡くなった今、

ご家族が、その苦しみ、絶望感を、ご自身の命果てるまで負い続けるだろう。


ご家族の言葉

「目の前で苦しんでいる人の声をもっとしっかり聞いてください。パソコンばかり見るのではなく、目の前の患者の苦しそうな、つらそうな顔をしっかり見てください」


分かりますよ、分かります‥‥

私の家族の主治医もそうだった。

診察の時間=電子カルテ入力時間

そのうえ、事後に確認したら、こちらから伝えたはずなのに、抜け落ちてる情報が多々あった。

なんのためのカルテだよ?

電子カルテ自体を作成することが目的になっていた。本末転倒だ。


今すぐこのご家族のもとに飛んでいって、共に泣きたい。

多くの人が同じ思いを抱いているはずだ。


病院は残されたご家族の救済に、誠意をもって取り組んで欲しい。