以前もお話ししたと思いますが、私は



「目の前の出来事に対して、肯定的側面を見る」



この事をかなりストイックに行っています。




肯定的側面を見るとは、つまり「良い部分を見る」ということ。



例えば雨が降っていたとして。



雨 = 天気良くない


と自然に感じちゃいますよね



でも干ばつで苦しんでいる地域の人にとっては恵みの雨となります。



私達のすぐそばに当たり前にある水は、雨のおかげです。



農作物の成長にも必要不可欠な存在です。



新しくお気に入りの傘を買った人にとっては、待ちに待った雨の日です。



今日の行きたくなかった予定、雨のおかげでキャンセルになったと喜んでいる人もいるかもしれません。



ただ、ただ、雨が大好きな人もいます。





自分の常識は、他の人にも当てはまるとは限りません。




と、こんな感じで色々な視点で物事を見るのです。




肯定的側面をみる、とか、良い部分を探すというのは、言い方を変えると




『全てを疑う』




ということです。



だから私は、自分にとって不快な出来事があっても、必ず立ち止まります。





なんか私すごい怒ってるけど、なんで?




目の前にあるのは、ただの出来事のみ。




その出来事に対して、怒り、悲しみ、喜びなどの感情を乗せているのは、他でもない私です。




色々な感情がある中で、なんで私はこの事に対して「怒り」を選んでいるのか。




日々、私の頭の中はこのような状態でフル回転です。



それは何のためか。



それは昨日のこの記事にも書きましたが。





私に対する誠意です。



自分に苦しい気分でいさせないために、



どうにか良い気分でいてもらいたくて、



目の前の出来事から、少しでも良い気分になれる部分を探します。





自分を苦しめているのは自分です。



だって「苦しい」を、目の前の出来事から選んでいるのですから。



それを、「まぁ、いっか」に変えてあげることが出来るのも自分だけです。



「喜び」に変えてあげることも出来ます。




私にとっての「自分に優しく」とは、こういうことです。