東京都美術館にて2月2日まで東京藝術大学の卒業作品展が展示されているそうです。

 

 

 

インスタグラムやXにて数多くの作品が話題になっていましたね。

 

 

 

その中でも私がふと気になったのはこちら

 

 

ぬいぐるみは死なないからすき

 

さわっても動かないから

さわることを許されている、と思うし

話しかけても応えないから

なんでも言える なんでも言わせられる

 

なぜ気になったかというと、以前読んだ『やさしさの精神病理』という本で似たようなことを読んだことがあったからなのです。

 

 

 

 

“きずな”と“ほだし”

「絆」という漢字があります。

 

“きずな”と読むことが多いですが、“ほだ(す)”とも読むのです。

 

「情に“ほだされる”」といったような使い方をしますね。

 

では、“ほだし”とは何なのか?

 

実は本来、牛馬をつないでおく紐のことを意味するのです。

 

「絆」は、“きずな”と読んで他人との立つことのできない結びつきや情愛を意味するとともに、“ほだし”と読んで自由を束縛することも意味するのです!

 

一つの文字にここまでの葛藤の意味が込められているのは面白いですね。

 

 

ペットと絆

 

具体的にペットとの関係性を挙げて考えてみましょう。

 

ペットには“命”があります。

 

一日でも健康に長生きしてほしい、幸せでいてほしいという家族としての“きずな”から、飼い主は心を込めてお世話をします。しかし同時に、旅行の予定が制限されてしまったり、毎日決まった時間に帰ってご飯をあげたりなど面倒を見る責任感という“ほだし”も付随します。

 

また、ペットには“心”があります。

 

自分が悲しんでいる時に慰めてくれたり、一緒に遊ぶと楽しそうにしてくれます。心のつながり、つまり“きずな”ですね。しかし、心があることで長時間放置してしまったり構ってあげられないことでペットを傷つけてしまうのではという“ほだし”もあります。

 

 

ぬいぐるみと絆

可愛いお気に入りのぬいぐるみには愛着が湧きます。ペットとは違い向こうからの反応は得られませんから、一方的ではありますが“きずな”と言っても相違ないでしょう。

 

ペットとは違い、ぬいぐるみには命がありません。そのため自分の都合よく生活を行うことができます。しかも、心がないため自分の言動がペットを傷つけてしまう恐れもありません。つまり、“ほだし”が無いのです。

 

ぬいぐるみは心がありませんから、自分に最適な慰めのセリフを喋らせられますし、いつまでも付き合ってくれます。

 

そう考えると、ぬいぐるみは最高の付き合いなのかもしれません。

 

束縛のない非現実的な絆…。

(中略)

これはまったく非現実的な絆、架空の絆なのです。言い換えれば、ヒトもペットも含めてすべての生きモノ(者/物)では得られることのない絆です。しかし、僕たちが絆を求めるときに僕たちの念頭にあるのは理想の絆だけ、純粋の〈きずな〉だけではないでしょうか。副産物の〈ほだし〉は、後に、絆の現実として現れてくるのです。

(中略)

“やさしさ”とは、相手の心に立ち入らず、そうすることで相手と滑らかな関係を保つことでした。それは、葛藤をできる限り避け減らす工夫でした。その“やさしさ”の「究極」の姿がこれだったのです。心のない縫いぐるみ相手では葛藤はまったくありません。縫いぐるみの柔らかい背中を“やさしく”撫でる時の“やさしい”感触。これ以上、純粋で理想的で究極的な滑らかな関係は、ありえないでしょう。

 

大平健著『やさしさの精神病理』 岩波新書 (2017)

 

いかがだったでしょうか。

 

一度手に取ってみていただければ幸いです。