なぜ、お爺さんは頻繁に山に柴刈りに行っていたのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 日本の昔話の冒頭で出て来ます「お爺さんは山に柴刈りに」という表現は、余りに、人口に膾炙しています。(因みに、1番センター柴田の柴の字は、雑木の小枝を、人工芝の芝の字は、ホワイトハウスの短い草の生え揃った南庭、"South Lawn"の"lawn"、芝草を意味するようです。)
そして、旅をして、車窓から外の景色を眺め、改めて、「山の麓には、新興の住宅地ではなく、古い集落が形成されていることがよくあるなあ」と思うことがあります。

 洋の東西を問わず、人は、大抵、煮炊きをして食事の支度をし、何かを燃やして暖を取ります。「いや、私は何かを燃やしたりせず、電気器具で調理をし、電気器具で暖を取っています」と仰る方も居られると思いますが、その電気を作るのに、石油や(炭化水素を主とする)天然ガスを、若しくは、石炭を、燃やしているのであれば、結局のところ、何かを燃やしているように、思います。

 少しだけ余談ですが、僕は平作川という川の近くに住んでいて、この川の川沿いには、原子炉の燃料棒(nuclear fuel rod)を製造する工場がございます。この燃料棒の「燃料」は、核分裂反応を燃焼反応になぞらえての言葉遣いであって、決して、何かを燃やしているのではないと、思われます。

 年代順で、天然ガス、石油、石炭、木炭、柴刈りの柴。どれも、言ってみれば炭素です。炭素よ、熱と明かりを人類に与えてくれて、有り難う。
その炭素を目の敵にして、低炭素社会と言い募り、原発利権への依存から脱却できないでいるのは、どこの国の何と呼ばれる政権与党なのか。

 大量生産と、まるで蕩尽が目的であるかのような大量消費。自然の摂理(providence)から外れ、バランスを失い(lost one's balance)、失っていることに気付く気配すら感じられない。そう思いながら、間もなく、新横浜駅で(エネルギーを大量に食う)新幹線を下車します。とほほ、疲れました。


車中で作文、横須賀市にて送信
佐藤 政則

 

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