西行の歌と、漱石の「則天去私」 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 今に始まった事ではないのですが、「何曜日だから休み、何曜日だから半ドン(=半休のこと)」というのが、しっくりとこないと申しましょうか、どうも馴染めません。多くの日本人が曜日に基づいて生活するようになったのは、いつの頃からなのでしょう。

 

 macOSに付属されている国語辞典『スーパー大辞林』には、「七曜暦」という見出し語があり、「七曜を記した暦で、平安時代にはすでに使われていた」と書かれていますが、「官用のもので民間では用いられていない」とも、記されています。「日曜日は休み」の由来、起源は、キリスト教なのではないかと、個人的には思っています。

で、二十四節気で申し上げれば、冬至が過ぎ小寒を前にして、僕が暮らしている南関東の横須賀でも、寒さが厳しくなってきました。と言っても、氷点下になるほどではないのですが。

 

 

『惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは

      身を捨ててこそ身をもたすけめ』 西行(さいぎょう)

 

拙訳

この世でお金や他人による評価に執着し汲々とすることに、一体どれ程の意味がございましょう。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるのではないでしょうか。

 

 

 以前、西行の別の歌を引用した際、「先人が感じた暑さを感じ、先人が愛でた月を眺むぐらいの心の余裕を持ちたい」と書かせていただきましたが、もちろん、先人が感じた寒さに関しても、同じように思っています。

 

 少々、強引ですが、僕のもう一つのブログの宣伝をさせていただきます(アクセス数が、なかなか伸びなくて・・・)。もう一つのブログ『Get It Balanced』のヘッダーに、「Turn away from selfness. Turn towards providence. NATSUME Soseki」という言葉を掲げているのですが、これは、もちろん、夏目漱石の「則天去私」という言葉を、僕なりに英訳したものです。先人の境地に触れ、少しでもその境地に近づきたい。両ブログとも、そう思いながら書かせていただいている政治ブログです。どうぞ、宜しくお願い致します。

 

 

神奈川県横須賀市にて

佐藤 政則