前回の投稿の補足説明 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 一見、朴実な村長さんのような風貌のフェルディナンド・マルコス元比大統領。48歳という若さで大統領に就任した当初は、決して独裁的ではなかった彼の長期政権の終盤は、外資導入を図るも、親族企業が幅を利かせ汚職が蔓延、国民は高失業率に喘ぎ、まるで教科書通り、絵に描いたような独裁政権の末路そのもの。

 僕は、フィリピンに渡航したことは、一度もないのですが、実は、マルコス氏の住まいから、そう遠くないところに、住んでいたことがあります。フィリピンは、大航海時代、まず、スペインの植民地になり、次いで、米西戦争を経て、米国が統治するようになったという歴史があり、1986年の大統領選挙の後、マラカニアン宮殿が国民によって包囲され、身に危険が迫ってきたマルコス氏は、米軍のヘリで宮殿を脱出し、結局、米国ハワイ州ホノルルのマキキ・ハイツ(Makiki Heights)で、かなり自由が保障された生活をするようになりました。
マキキ・ハイツは、国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of the Pacific)とハワイ大学マノア校の中間辺りにある、いわゆる高級住宅街です。僕は、一時期(1987~1988年)、そこから2kmほど南下した辺りにある古いアパートに住んでいました。

 そういった事情もあって、前回の投稿で言及しましたニュース動画を見て、「ベニグノ・アキノ3世比大統領は、ひょっとしたら、暗殺された父が倒れこんだ空港だからこそ、タラップ下のあの位置で、両陛下を迎えられたのではないか」と、思いました。(白い開襟シャツ姿のベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員は、背後から撃たれたのか、駐機場の地面に、うつ伏せに倒れました。)
また、「スペイン国王や米国大統領が、もし、明日、フィリピンを訪問したら、アキノ大統領は、どう迎えられるのだろう」、そう考えたら、アキノ大統領のあの応接は、日本人として、忘れてはならない有り難い行いであると、改めて思いました。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則