暑中お見舞い、申し上げます | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 あれもこれも、思うように書き進まないのですが、はや、8月。少々、強引ですが、8月、拓郎と来れば、やはり、この歌、『いつも見ていたヒロシマ(作詞は、岡本おさみさん)。子供らに、オレ達は、何を与えようとしているのか。どんな日本を与えようとしているのか。

 先週の土曜日に、たまたま、神奈川県の県央にある海老名駅で、友人と会うことになり、「せっかく、県央に行くのだから」と思い、海老名駅に行く途中、小田急江ノ島線の大和駅で下車し、炎天下、海上自衛隊厚木航空基地の周囲を走ってきました。不覚にも、途中、少し道に迷って時間を浪費してしまい、海老名駅まで走ることを断念し、相鉄本線のさがみ野駅に向かい、そこから再び乗車し、海老名駅に参りました。
海上自衛隊厚木航空基地は、日本に三つある日米共同使用基地のうちの一つです。基地の正門に行ってみると、『米海軍厚木航空施設、NAVAL AIR FACILITY ATSUGI』の文字も、ありました。余談ですが、厚木航空基地は、厚木市ではなく、綾瀬市と大和市に、所在しています。

 炎天下、厚木航空基地の周囲を走りながら、色んなことを思いました。69年前の夏は、どんな夏だったのだろう。普天間飛行場代替施設は、海上自衛隊と米国海兵隊の共同使用施設とし、海上自衛隊が管理すべきなのではないか、などなど。

 余談ばかりになりますが、夏、拓郎、広島と来れば、やはり、フォーライフ(拓郎らが、1975年に設立したレコード会社)設立後、最初のシングル曲である『となりの町のお嬢さん』を、忘れる訳には参りません。
二人で恋の汽車ポッポ、暑中お見舞い、申し上げます。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則