重要で、かつ、誤解を招きやすいことなので、まず、最初に書かせていただきますが、僕は、「全国民を代表する選挙された議員(憲法43条1項)の中から、国会の議決で指名される内閣総理大臣(憲法67条1項)は、そういう立場を、心を虚ろにし私心を去って自覚すれば、自ずから、靖国神社を訪れ拝礼するだろう」と、思っています。端的に申し上げれば、「この国の内閣総理大臣は、靖国神社を訪れ拝礼すべきである」と、強く思っています。
こう申し上げると、さながら、毎話、けんかを繰り広げるトムとジェリーのように、事ある毎に、機動隊をはさんでにらみ合い、大声で罵声を浴びせ合う両陣営の一方に常にいる人だと、誤解されてしまうでしょうか。
拝む拝まないは、心の問題です。特定の場所に赴いて拝む、自宅で拝む、もしくは、拝まない。それは、個々人が、自分で決めることですし、特定の場所に赴いて拝むことと、特定の場所に赴かずに拝むことに、優劣をつけるべきではないと、僕は思っています。
この世には、車いすに乗らなければ、日常の移動ができない人も居られますし、車いすに乗ることができず、ベッドに臥床したままで、ほとんど移動がままならない人も、居られます。
(1)靖国神社に参拝したいと願い、参拝した人。(2)靖国神社に参拝したくないと願い、参拝していない人。そして、(3)靖国神社に参拝したいと願いながら、肉体的、精神的、経済的、社会的理由、その他様々な理由により、参拝の実現が難しい人。日本国民を、これら三つに分類した場合、(1)と(2)の人は、願いが叶っていますが、(3)の人は、願いが叶っていません。
全国民を代表する国会議員でもある内閣総理大臣は、自身の意見がどうであろうと、全国民を代表するという立場を自覚し、願いが叶っていない(3)の人の思いを汲んで、靖国神社を訪れ拝礼すべきであると、僕は、強く思っています。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則