私が、石原莞爾という人名を、初めて知ったのは、大学生のときだった。たまたま、米国人講師が英語で行う、近現代史の授業があり、せっかくだからという軽い気持ちで、その授業を選択、履修した。米国人講師が、学生に向かって、「イシハラ・カンジって、知ってるか」と問いかけたら、学生は皆、知らない様子で、その米国人講師が、びっくりしたという風な表情をしたのを、覚えている。
なにぶん、昔のことなので、学生が、日本の学生のみだったか、交換留学で日本に来ていた外国の学生もいたかは、思い出せない。私も、他の学生と同じで、イシハラ・カンジという人名は、知らなかった。今も、詳しいことは知らないが、前述の授業では、彼の「世界最終戦論」が紹介された。
戦後、しかも、高度経済成長後に生を受けた日本人(私も、そのうちの一人だが)にしてみれば、「一部の国、例えば、米国が、日本を脅威だと感じた」ことは、頭では一応、理解しても、なかなか、しっくりこないのではないか。
連合国による日本占領時の政策の、最大の目的は、日本の国力が、復活しないよう押さえ込むことだろう。占領時に成立した憲法やその他の法令を見れば、所々、その意図が感じられる。
近現代史を詳細に見れば、日本ほど、和を大切にする奥床しい国は、少ないと、私は思う。戦前、日本の中国四国地方に帝国大学が設立されることは、結局、なかったが、ソウル(当時の京城)と台北には、帝国大学が設置された。
また、日本は、明治の初めに廃藩置県を行った。現在の47都道府県は、行政上の区分であり、日本は、連邦制の国ではない。沖縄県が、連邦を構成する一つの国家で、しかも、国防の権能を有しているのであれば、普天間飛行場の辺野古移設に反対することも可能だが、廃藩置県を行ってから、既に、相当の年月が経っている。
日本政府は、和を大切にし奥床し過ぎるあまり、辺野古移設を先送りし、結果的に、成らず者国家の暴挙を許している。
大日本帝国憲法には、「地方自治」という文字は盛り込まれていなかったはずだが、現憲法においては、第8章を、地方自治に割り当てている。日本の国力を押さえ込もうという意図を感じてしまうのは、私だけだろうか。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則