意見が割れているのか、もしくは、単なる流れ作業なのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 いやぁ、正直なところを申し上げれば、意図が、全く分からない。昨日の午前中に、簡易書留が、届けられた。私が5月20日に提出いたしました告発状に対する、東京地検特捜部直告班の方からの返書(東地特捜第349号)である。前回、そして前々回と同様に、受理しない旨が、書かれていた。

 意図が分からないと、申し上げたのは、返書の内容そのものの意図ではなく、法令の専門家たる方が、法令の専門家が書いたとは思えないような内容の返書を、迅速にお送りくださる、その意図を指して、申し上げた。

 もし、そもそも、現職の内閣総理大臣らを被告発人とする告発状を、受理したくないのであれば、迅速に、受理しない旨の返書を告発人へ送付したりしないだろう。そういう意味で、私は、最初、少なくとも1か月以上待たされるだろうと、思っていた。
「なんだかんだで3か月、引っ張れば、いくらなんでも、公債特例法が制定されているだろうから、とりあえず、時間を稼ごう」、東京地検の中に、そう考えていらっしゃる方も、もちろん、おられるだろう。

 にもかかわらず、迅速に、受理しない旨の返書を、お送りくださるということは、東京地検の中で、言わば、受理派と不受理派が、意見をぶつけ合っているということなのか。もしくは、単に、私の告発状は、その他大勢の意味不明の告発状と同じと見なされて、東京地検の中で、流れ作業が行われているに過ぎないのか。

 私益のためならば、何度も告発状を提出することは、恥ずかしくてできないが、震災後の今、公益のため、国益のために、そうしている。3月11日の大地震以降、多くの方々が亡くなられ、多くの方々が、未だ、行方不明のままである。地位も名誉も財産もない、言わば、自由の身の私が、公益のためにできることが、もしあるのなら、謹んで、それを行って参ります。


神奈川県にて
佐藤 政則