テレビ放送では、がん保険の広告が、ごく普通のこと、当然のことのように、流されている。外資系、具体的には、米国の民間保険会社の広告を、よく見かける。米国の公的医療保険の事情については、詳しいことは知らないが、日本の公的医療保険は、いわゆる皆保険である。
生きている者で、病気やけがになる可能性が皆無である者は、いない。日本に住む人は、国籍に関わらず、国民健康保険、後期高齢者医療制度、協会けんぽ、健康保険組合、共済組合などのうち、いずれかの公的医療保険の被保険者にならなければならない。
そういう日本において、米国の民間保険会社が、がん保険を、多くの人に販売している。沢山の保険制度を林立させるのは、厚生労働省のお家芸である。が、今日お伝えしたいことは、そのことではない。いつから、がんが、日本人の"国民病"のようになったのだろうか。そのことについて、考えてみたい。
特に戦後の冷戦期、米ソ英仏は、核実験を繰り返した。「ただちに影響はない」程度であるが、放射性物質は、世界中にまき散らされた。また、戦後、医療分野において、レントゲン撮影(X線撮影)が、普及した。
「ただちに影響はない」程度の被曝でも、その状態が継続すると、20-25年後に、がんを発症する率が高くなるそうである。戦後の、がん(=悪性新生物)による死亡の率の推移が、厚生労働省発表の人口動態統計月報年計(クリック後、図6を参照)に、載っている。戦後、一貫して、がんによる死亡の率は、上がり続けている。
現在、福島第一原発から、「ただちに影響はない」程度だそうだが、放射性物質が放出され続けている。25年後、もし生きておれば、私は68歳であり、本日生まれた日本人は、25年後、25歳である。25年かけて、責任がうやむやにされたころに、誰かが、がんを発症する。そして、誰も責任をとらない。
米国は、原子力大国である。そういう米国の民間保険会社が、日本において、がん保険を、ごく普通のこと、当然のことのように、販売している。マッチポンプという言葉を、思い出した。
神奈川県鎌倉市にて
佐藤 政則