原発に、表立って反対してこなかったことに対する責任 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 夏、暑くても、冬、寒くても、病気でないときは、エアコンを使ってこなかった。今は、自家用車を所有していないが、所有していた20年弱の間、車のエアコンは、雨天時に、ガラスの曇りを止める装置だと思っていたので、未だに、車のエアコンの操作方法が、よく分からない。

 公道上は、我が部屋の中ではない。公道上で、有害なガスを排出しながら、鉄のかたまりを移動させるだけでも、気が引けるのに、おのれが、暑さ寒さを避けて楽をするために、さらに、有害なガスを公道上で排出することは、平常心を保ちながらできることではない。
もちろん、同乗者がいるときには、100%、同乗者に合わせてきた。

 書けば長くなるので、そうしてきた理由を、今は書かないが、要するに、私は、生まれて物心が付いて以降ずっと、変わり者である。今後も死ぬまで、そうであり続けると思う。

 私は、表立って、原子力発電に反対してこなかった。人は、肥大化した脳を持ち、快楽を経験すれば、脳内で、麻薬に似たものを分泌するようになっており、構造的に、"快不快の原則"に、ある程度、縛られている。ならば、それに合う範囲内で、快楽主義を認めないと、安定した社会は、成り立たない

 そう考え、地震国である日本に、多くの原発や超高層建築物を建設することに対し、反対してこなかった。その責任を、どうやって取るべきか。
福島第一原発において、僅か400-500名の日本人が、過酷な状況の中で、上司の命令に背くことなく、与えられた業務を遂行されている中、不甲斐ない私は、未だ、心が定まらないでいる。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則