きょうは、昭和の日という国民の祝日である。カレンダーを制定することは、政府の仕事のうちのひとつであるが、日本の場合、変更し過ぎの感が否めない。まぁ、それは置いておいて、『国民の祝日に関する法律』第2条にある通り、昭和の日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日なので、国の将来に思いをいたしてみたい。
昔から不思議に思っていることがある。
この国の主権者は国民である。国民ひとりひとりの意思は、様々だ。そういう様々な意思を一本化して、国民の総意を決定する。国民の総意は、多数決によって決められる。決められた後になって、「私はあのとき反対した」とか、「私はあのとき野党だった」などと言う人がいる。さも、「あのとき野党だったから、自分には責任はない」と言わんばかりの人が、あまりに多い。
国民ひとりにひとつずつ、日本国の主権が与えられているのではない。日本国というひとつの国の主権は、全日本国民というひとつの集団に与えられている。多数決によって決められた国民の総意に対し、責任を持つのは誰か。主権者である全日本国民である。「あのとき野党だった」人も、全日本国民のうちの一人だと思うのだが・・・。誠に、不思議である。
たぶん、国家の主権と基本的人権を、混同されていらっしゃるのではないか。
「あのとき野党だった」その人の意見のほうが、仮に「正しい意見」だったとしても、その人は、他の議員を説得して、多数の人の賛成を「正しい意見」に集めることができなかったのである。その責任を、「あのとき野党だった」その人は、どう感じているのだろう。
「あのとき野党だった」は、免罪符ではない。